11月11日 (月) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 2 0 2 0 1 0 0 0 5 巨人 71勝26敗 0.732 中尾輝三 川上哲治
0 1 3 0 0 0 0 0 0 4 金鯱 31勝58敗7分 0.348 内藤幸三 古谷倉之助 長尾貞利
二塁打 (巨)川上
本塁打 (巨)永澤 1号 (金)倉本 1号
勝利打点 永澤富士雄 2
吉原正喜、4四球3盗塁
現在最も強いチーム同士の一戦、好試合が期待できる。
巨人は2回、一死後千葉茂が4球ファウルで粘っ四球で出塁、吉原正喜も四球を選んで無死一二塁、ここでダブルスチールを敢行、キャッチャー柴田多摩男からの三塁送球をサード倉本信護が逸らす間に千葉が還って1点を先制、林清一も四球から二盗を決めて一死二三塁、平山菊二も四球を選んで一死満塁、中尾輝三は三振に倒れるが、トップに返り白石敏男が押出し四球を選んで2-0とする。
金鯱は2回裏、先頭の黒澤俊夫が四球で出塁、上野義秋の右飛に一走黒澤が飛び出しライト中島治康からファースト川上哲治に送球されてダブルプレー、しかし倉本が左前打、柴田も左前打を放って二死一二塁、内藤幸三が四球を選んで二死満塁、五味芳夫が押出し四球を選んで1-2とする。
金鯱は3回、一死後森田実が中前打、黒澤は捕邪飛に倒れるが、上野が右前打を放って一死一二塁、ここで倉本がレフトスタンドにスリーランホームランを叩き込んで4-2と逆転する。
巨人は4回、先頭の吉原が四球で出塁、林は中飛に倒れるが吉原が二盗に成功、平山は右飛に倒れて二死二塁、ここで中尾に代わる代打永澤富士雄が左翼スタンドに同点ツーランホームランを叩き込んで4-4とする。
巨人は4回の守備から代打の永澤がファーストに入り、ファーストの川上がマウンドに上がる。
巨人は6回、先頭の吉原が3打席連続の四球を選ぶとこの日3つ目の盗塁に成功、4回の守備から林に代わってセンターに入っている呉波の右飛で二走吉原はタッチアップから三塁に進み、平山は浅い右飛に倒れて二死三塁、ここで永澤が左前に決勝タイムリーを放って5-4と勝ち越す。
4回から登板した川上は毎回走者を出しながら何とか凌ぎきり巨人が辛勝する。
吉原正喜は4打席0打数0安打4四球3得点3盗塁を記録した。吉原は今季104試合にフル出場して83個の四球を選んで四球王に輝くこととなる。更に30個の盗塁を記録することにもなる。その象徴となる試合がこの試合であったと言えるでしょう。「吉原正喜研究」には欠かすことのできない試合であることが判明しましたが、当ブログが掘り起こすことがなければ永遠に闇に葬られていたことでしょう。
川上哲治の台頭により控えに回ることとなった永澤富士雄が同点本塁打と決勝タイムリーを放つ活躍を見せた。永澤は巨人軍史上初の公式戦となった昭和11年7月1日の連盟結成記念全日本野球選手権におけるジャイアンツvs名古屋戦で四番ファーストに起用され、「巨人軍初代四番打者」として永遠にその名を残すこととなりました。
投手・川上哲治は6イニングを投げて3安打6四球4三振無失点で3勝目をあげる。川上は来期も3試合に登板することとなりますが勝利投手は通算11勝目となった本日が最後となります。当ブログは投手・川上が記録した全11勝をお伝えしてきたこととなりました。
倉本信護がプロ野球で記録した最後のホームランを放った。倉本は戦後、国民リーグで唯一の本塁打王となりますが国民リーグが公式記録に組み入れられることは、筆者がプロ野球コミッショナーに就任しないかぎりあり得ません。
*川上哲治はランナーを出しながら粘りのピッチングで3勝目をあげる。この通算11勝目が投手・川上の最後の勝利となりました。
*吉原正喜が0打数0安打3得点4四球3盗塁を記録、永澤富士雄が同点ホームランと決勝打を放った巨人打線。
*戦後国民リーグで本塁打王となる倉本信護がプロ野球で放った最後のホームランを伝えるスコアカード。
*昭和9年全日本時代の永澤富士雄のサイン。右隣が山本栄一郎、左隣が伊原徳栄、その隣が杉田屋守です。
*こちらは昭和10年第一次アメリカ遠征時の永澤富士雄のサイン。
*昭和11年7月25日発行の「聯盟公報」第四号に掲載された7月1日の巨人軍史上初の公式戦。二番セカンドの前川八郎は二となっていますが正確には「二」でスタメンです。永澤富士雄が四番ファーストで起用され、「巨人軍初代四番打者」となりました。
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