11月9日 (土) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 黒鷲 44勝45敗4分 0.494 亀田忠
0 0 0 0 0 0 1 0 1X 2 阪急 57勝34敗5分 0.626 森弘太郎
勝利投手 森弘太郎 26勝12敗
敗戦投手 亀田忠 24勝20敗
二塁打 (黒)岡田
勝利打点 フランク山田伝 9
サヨナラスクイズ
これまで24勝の黒鷲・亀田忠、25勝の阪急・森弘太郎両エースの投げ合いは5回まで両チーム2安打ずつの投手戦を展開した。
黒鷲は6回、先頭の岡田福吉が左翼線に二塁打、岩垣二郎の遊ゴロの間に岡田は三進、玉腰忠義の遊ゴロの間に岡田が生還して1点を先制する。岡田の足で稼いだ得点であった。
阪急は7回、先頭の上田藤夫が四球で出塁、日比野武がセンター右にヒット、新富卯三郎の三前バントが内野安打となって無死満塁、伊東甚吉の一直をファースト中河美芳がキャッチするとそのまま一塁ベースに入り無補殺併殺を記録、二死二三塁から森が四球を選んで二死満塁、中島喬に代わる代打池田久之が左前に殊勲の同点タイムリーを放って1-1とする。
黒鷲は8回、先頭の岡田が左前打で出塁、岩垣の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、玉腰が送りバントを決め、亀田が死球を受けて一死満塁、しかし中河の投ゴロで三走岡田は本封、寺内一隆に代わる代打高橋輝彦の三ゴロを捕球したサード黒田健吾がそのまま三塁ベースを踏んでスリーアウトチェンジ。
黒鷲は9回、二死後山田潔が四球で出塁、トップに返り岡田がこの日3本目のヒットを左前に放ち二死一二塁、しかし岩垣の打球はセカンドライナーとなってスリーアウトチェンジ、この回も勝越しのチャンスを逃す。
阪急は9回裏、先頭の田中幸男が四球で出塁、森の投前送りバントが野選となって無死一二塁、トップに返り西村正夫が四球を選んで無死満塁、フランク山田伝がサヨナラスクイズを決めて阪急が辛勝する。
森弘太郎は9安打を許したものの3四球1死球3失点の完投で26勝目をあげる。
9回裏の山田のスクイズの場面ではピッチャー亀田は当然ホームに投げてセーフとなっており、山田の記録は内野安打となりますのでサヨナラヒットとも言えますが実際はサヨナラスクイズでした。サヨナラスクイズで犠打が記録されるケースはまずないでしょう。
1973年夏の甲子園決勝、広島商業vs静岡高校の熱戦は2対2の同点のまま9回に進む。9回裏広島商業の攻撃、先頭の四番楠原は二塁に内野安打、町田が四球を選んで無死一二塁、達川(あの達川です!)が送って一死二三塁、川本(名二塁手)は敬遠で一死満塁、背番号7ながら途中出場の大利はカウントツーツーからのストライクスクイズを落ち付いて三前に決めて広島商業が優勝しました。静岡高校のサード永嶋がキャッチャー水野に送球しましたがセーフ、大利のサヨナラスクイズは内野安打と記録されています。
当ブログはこの年準優勝の静岡高校は公立高校史上最強チームであったと考えています。三番植松、四番水野、五番白鳥のクリーンナップトリオを中心とする打線は球史に残る強力打線でした。
広島商業の金光主将、エース佃、四番楠原は法政大学に進み作新学院の江川等とともに黄金時代を形成します。決勝で対戦した静岡高校の植松は同じく法政大学に進み、阪神でも活躍した巧打者でした。郷里の草薙球場で行われる巨人vs阪神OB戦では常連だそうです。
一死二三塁で敬遠四球に歩いた川本幸生は広島商業の監督として1988年の夏の甲子園を制覇し、選手、監督で優勝を経験しています。NHKの甲子園中継の解説者としてもお馴染みでしたね。惜しくも2010年に癌のため亡くなられています。佃正樹も2007年に癌で亡くなっています。この大会の3回戦、日田林工戦で佃が決めたツーランスクイズはその後しばらく高校野球のトレンドとなりました。
*森弘太郎は9安打を打たれながらも粘りのピッチングで26勝目をあげる。
*1973年夏の甲子園を制した広島商業チームサイン色紙。迫田監督以下、金光、楠原、佃、達川、川本です。
*法政大学黄金時代のチームサイン色紙。金光、佃、楠原の広島商業トリオに加え、静岡高校の植松精一、作新の江川卓、熊谷商業の槍田英男、松江商業の中林千年(江川の二番手は佃ではなく中林と槍田でした)、箕島の島本啓次郎(講平の弟、後に巨人、近鉄。神宮で満塁ホームランを2本打っています)、柳川商業の徳永利美(法政の四番は徳永でした)、自動車工業の袴田英利(後にロッテ、バッテリーを組んだ江川の右隣にサインを入れています)などのサインが入っています。
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