11月11日 (月) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 2 0 2 0 0 0 4 阪神 58勝34敗3分 0.630 藤村隆男
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 52勝40敗5分 0.565 松尾幸造 西沢道夫
勝利投手 藤村隆男 5勝2敗
敗戦投手 松尾幸造 11勝12敗
二塁打 (神)堀尾、本堂
勝利打点 松尾五郎 1
藤村隆男、今季4度目の完封
阪神は4回、伊賀上良平が左前打で出塁、カイザー田中義雄の捕ゴロの間に伊賀上は二進、田中には犠打は記録されていないのでボテボテの当りだったと推測される。ここで松尾五郎が中前に先制タイムリーを放って1-0、バックホームの隙を突いて打者走者の松尾は二進、宮崎剛の右飛で松尾はタッチアップから三進、藤村隆男の二遊間内野安打で2-0とする。
阪神は6回、先頭の藤村が中前打、名古屋ベンチはここで先発の松尾幸造から西沢道夫にスイッチ、中田金一の三ゴロでランナーが入れ替わり、トップに返りジミー堀尾文人が左翼線に二塁打を放って一死二三塁、皆川定之が右前に2点タイムリーを放って4-0と突き放す。
阪神打線は中田を除く先発全員安打で快勝する。
藤村隆男は名古屋打線を芳賀直一の左翼線ヒットと桝嘉一のショートへの内野安打だけに抑え、2安打3四球2三振で今季4度目の完封、5勝目をあげる。
決勝タイムリーを放った松尾五郎の入団の経緯については2013年3月20日付けブログ「15年 名古屋vsタイガース 10回戦 」でお伝えしておりますので省略します。松尾は佐賀商業の出身、既に当ブログでご紹介した佐商出身のプロ野球選手は石丸藤吉、中島喬がおり、宮崎要も昭和25年にプロ入りします。石丸と中島は1914年生まれ、松尾は15年生まれ、宮崎は16年生まれです。石丸藤吉の弟・石丸進一(22年生まれ)が佐賀商業から名古屋に入団するのは昭和16年のこととなります。当ブログでは8月から昭和16年ペナントレースを実況中継する予定ですので乞うご期待。昭和25年に西鉄クリッパースに入団することとなる宮崎要は監督も兼任します。現在(昭和15年のことです(笑))阪神で活躍している宮崎剛とは別人です。因みに宮崎剛も1972年と1974年に大洋ホエールズの監督を務めています。但し72年は別当薫監督がシーズン途中で辞任して青田昇コーチが監督代行となりますがこれまた休養して宮崎が監督代行の代行となったものです。
戦後の佐賀商業出身の代表格と言えば新谷博となります。1982年夏の甲子園、1回戦の木造高校戦で新谷は9回二死までパーフェクトピッチングを続けましたが27人目の打者に死球を与えて夏の甲子園史上初の完全試合はなりませんでした。次の打者を打ち取りノーヒットノーランは達成しましたが。この時の木造(きづくり)高校は「もくぞうこうこう」と呼ばれました。現在では全国有数の強豪校として知られる習志野高校も甲子園に出た当初は「しゅうしの」と呼ばれていたものです。
*藤村隆男は今季4回目の完封で5勝目をあげる。
*藤村隆男に2安打に抑え込まれた名古屋打線。
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