2013年7月31日水曜日

唖然



 Wikipediaの「近藤久」の項には「川上哲治に初ヒットを打たれた投手でもある」と書かれていますがこれは間違いです。川上の初ヒットは昭和13年5月14日のイーグルス戦で亀田忠から放った中前打です。同年5月29日のライオン戦で近藤から打った二塁内野安打は通算2本目のことです。間違いの元が「元ベースボールマガジン編集長・U氏」のブログだというのも唖然とさせられますね(2013年7月30日現在)。スコアブックを見なくても、ベースボール・マガジン社発行「日本プロ野球記録大全集」を見れば分かるのですが。


 因みに、Wikipediaの「小田野柏」の項には「川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏である(結果はセンターフライ)」と書かれていますがこちらも間違いで、昭和13年5月1日の阪急戦で川上が小田野と対戦したプロ入り初打席は「ライトフライ」と記録されています。こちらはスコアカードを見ないと分からないでしょうが。小田野柏の母校である岩手県立福岡中学校(現・岩手県立福岡高等学校)の「野球部創部100周年誌」である「陣場台熱球録」では「プロに進んだ5人のサムライたち」として小田野柏が紹介されていますが、「後に打撃の神様と呼ばれる川上哲治がプロ入りして最初に対戦した投手が小田野柏であった。この時は、見事センターフライに打ち取っている。」と誤った記述が見られます。同誌は立派な出来であるだけに惜しいことです。





*昭和13年5月14日、川上哲治は3回の第一打席でプロ入り初ヒットとなる中前打を記録しましたが、この時の対戦相手はイーグルスの亀田忠でした。








*昭和13年5月29日、川上哲治は3回の第一打席でプロ入り2本目のヒットとなる二塁への内野安打を記録しましたが、この時の対戦相手がライオンの近藤久だったのです。











*昭和13年5月1日、川上哲治はプロ入り初打席でライトフライに倒れています。この時の対戦相手は小田野柏でした。当時の記録者の「9」と「8」は肉眼では判別し辛いのは事実ですが、拡大鏡で見れば確実に判別できますので川上のプロ入り初打席は「右飛」です。三原脩の第一打席「F-8」と見比べてみてください。筆者は全てのプレーを拡大鏡を使って確認しておりますのでご安心ください。













 

6 件のコメント:

  1. この件については、日本プロ野球では記録と過去がぞんざいな扱いを受けている事を明確に表しているのかもしれません。
    今年のトレンド・"二刀流"は「打撃の神様」もやっていたのに、全く話題にあがりませんね。

    問題のU氏は恐らく、自身の著書に書いたモノをそのまま鵜呑みにしているのでしょう。
    愚ブログにある「近藤久」のページの最下段は、U氏の著書からの引用です。新聞記事にあった近藤のインタビュー記事をU氏は取り上げています。
    http://eiji1917.blog62.fc2.com/blog-entry-29.html

    ちなみにですが、BBM編集長時代のU氏は編集部内きっての野球物知りで、U氏に聞けば(特に過去の事について)、大抵の事は解決したそうです。擁護ではありませんが、念のため。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 「伝聞」情報は注意が必要です。ベースボール・マガジン社の「自伝」シリーズには数多くの誤記載が見られます。苅田久徳の自伝など時系列がめちゃくちゃですが、ゴーストライターを使っていない証左でもある訳で、生身の情報の面白さも伝わってきます。

       昨日、高橋ユニオンズのオーナーだった高橋竜太郎氏のお孫さん(既に70歳を超えているとのことでした)にお話を聞かせていただく機会があり、ユニオンズの貴重な生資料を拝見させていただきました。小田野柏は昭和29年に引退後はユニオンズのコーチになった伝わっていますが、昨日拝見した資料によるとファームチームの監督となっていました。

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    2. 苅田の自伝は、筆名・大道文こと故田村大五の「プロ野球・謎とロマン」からの引用が多いですが、自ら筆を執ったであろうと思われる節はありますね。野口二郎の自伝もそうではないでしょうか。

      当時の選手名鑑を見ても、小田野の役職はコーチのままで二軍監督と表記されていませんね。
      他球団には二軍の監督もしくはコーチの肩書がついている人はいますが。

      そういえば、高橋ユニオンズで疑問に思っている事が一つありまして、1955年にV.スタルヒンが300勝を達成した時の捕手だった西倉実がその年の末頃に亡くなっているのですが、現役中に亡くなった選手として扱われていないようです。もしかしたら、自由契約になっていたのかもしれませんが。
      自由契約選手の一覧、のような類いの資料はありましたでしょうか。

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    3. 契約書は全て残っているようでした。佐々木信也の契約書も見せていただきました。

      現在資料を整理されているようで、完成後は野球殿堂博物館に寄贈されるということでした。

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  2. 初めまして。
    陣場台熱球録の執筆者です。
    読んでいただいてありがとうございます。
    川上哲治の初打席は、母校の記録でもライトフライですが、柏さんがセンターフライだったと述べたのでそのまま掲載しました。
    今となっては、再確認のしようがありません。
    最後まで野球理論の研究に熱心だった方です。

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    1. 貴重な情報ありがとうございます。
      「野球部史」は数多く拝見させていただいておりますが、「陣場台熱球録」以上の存在を知りません。

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