5月27日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ジャイアンツ 21勝10敗 0.677 スタルヒン
1 0 0 0 0 0 0 0 X 1 南海 12勝17敗2分 0.414 政野岩夫
勝利投手 政野岩夫 5勝6敗
敗戦投手 スタルヒン 15勝5敗
二塁打 (南)国久
59分
南海は初回、先頭の国久松一が右中間に二塁打、続く平井猪三郎の二ゴロで国久は動けず一死二塁、鶴岡一人の中前打で一死一三塁、岡村俊昭の二ゴロの間に国久が還って1点を先制する。
ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が四球を選んで出塁、続く水原茂の三ゴロが「5-4-3」と渡ってダブルプレー。2回、一死後川上哲治が右前打で出塁するがアチラノ・リベラ(アデラーノ・リベラ)の遊ゴロで「6B-3」のダブルプレー。4回には水原、千葉茂の連続四球で一死一二塁とするが中島治康の二直に二走水原が飛び出してゲッツー。
ジャイアンツは5回、先頭の川上が四球で歩くがリベラの二直に川上が飛び出してダブルプレー。7回、先頭の水原が左前打で出塁、千葉の投ゴロでランナーが入れ替わり一死一塁、中島の三ゴロが「5-4-3」と渡ってこの日五つ目の併殺を記録する。
政野岩夫はジャイアンツ打線を3安打5四球0三振の完封に封じ込め、スミ一を守り抜いて5勝目をあげる。
スタルヒンも8回を6安打1四球5三振で1点に抑えるが5月7日のタイガース戦以来の敗戦投手となって七連勝でストップする。ジャイアンツとしては9回、1イニングだけであったが呉波が久々に出場してレフトの守備についたのが唯一の収穫であった。ジャイアンツの敗戦によって阪急が春季優勝に大きく近づいた。
南海守備陣の5併殺が効いて試合時間は59分であった。
南海の5併殺のうち4つに絡んだセカンドの国久松一は打っても初回二塁打を放って決勝のホームを踏んだ。国久は興國商業(現・興國高等学校)の出身。興國と言えば1968年夏の甲子園に丸山ー丸目のバッテリーで初出場初優勝を飾ったことで知られています。丸山投手のアンダーハンドが印象に残っています。この大会は50回記念大会で、北海道を南北に分けて47都道府県から48校の代表が出場したマンモス大会でした。沖縄代表の興南高校がベスト四に進み「興南旋風」が吹き荒れた大会でした。前年は習志野高校が一回目の優勝を飾り、翌年は太田幸司の三沢高校と松山商業の死闘が繰り広げられました。太田はこの年も二年生で甲子園のマウンドを踏んでいます。武相高校の島野(後のブレービー。巨人にドラフト一指名されたとき、巨人入りを熱望していた星野仙一が「島と星の間違いとちゃうんか!」と絶叫しました。)の剛腕が評判でしたが、市神港時代の山口高志も出場しています。興國と決勝で対戦して敗れた静岡商業の新浦は中退して巨人入りしています。
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