2011年10月16日日曜日

14年 名古屋vs金鯱 4回戦


5月25日 (木) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 名古屋 10勝18敗3分 0.357 大沢清
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 金鯱    7勝24敗       0.226 中山正嘉


勝利投手 大沢清     1勝1敗
敗戦投手 中山正嘉 5勝9敗


二塁打 (名)村瀬2


大沢清、快心の投球


 どうも日本人という人種は細かいことが好きなようで、折角今季から一シーズン制となり本格的長期リーグ戦がスタートしたと言うのに、シーズンを春季、夏季、秋季の三つに分けてそれぞれ表彰するということとなっている。大和球士著「真説 日本野球史」によると、「長期一シーズン制と三シーズン制の“ごった煮制度”であった。・・・鈴木惣太郎が提案した長期一シーズン制に対し、反対論が起こって収拾がつかず、妥協案として、便宜的に三シーズン制もとりいれたために中途半端なリーグ戦ができあがったのであった。」とのことです。と言うことで、春季リーグ戦は大詰めに来て阪急とジャイアンツによる熾烈な首位争いが繰り広げられている。本日からの後楽園シリーズ12試合で雌雄が決することとなる。


 名古屋は初回、桝嘉一が右前打、2回は服部受弘が左前打、3回は村瀬一三が左翼線に二塁打を放つが得点無し。4回は三者凡退。

 名古屋は5回、先頭の服部が左前打で出塁、天野竹一の送りバントが内野安打となって無死一二塁、トップに返り石田政良は一飛に倒れて一死一二塁、ここで村瀬が二打席連続となる二塁打を左中間に放ち決勝の1点をあげる。

 名古屋先発の大沢清は5回までノーヒットピッチング。6回二死から古谷倉之助に右翼線ヒット、野村高義に右前打を許して二死一二塁のピンチを迎えるが中山正嘉を右飛に抑える。7回、8回は三者凡退。9回、先頭の古谷に四球を与えて無死一塁。翌日の読売新聞によると「されば岡田監督は古谷主将と協議の上、岡野を代走に立てて得点を狙ったものである。然るに打者野村は第一球を二ゴロして重殺に斥けられ逆転を期すべき手がかりを一挙にして喪失した。」とのことである。金鯱は古谷の代走に岡野八郎を送ったが本日四番に入った野村高義の二ゴロが「4-6-3」と渡ってゲッツー、中山に代わる代打磯部健雄が三振に倒れてゲームセットを告げるサイレンが高々と鳴り響く。

 大沢清は2安打5四球3三振の完封で今季初勝利をあげる。右打ちの名手として名高い大沢清(後に伸夫)は投手としては通算5勝をあげることとなるが、完封勝利はこの日が唯一のものである。弟の大沢啓二親分が亡くなって、テレビに出ている一族は又姪の大沢あかねだけになった。大沢あかねがテレビに出られているのも終戦直後、ぷー太郎をしていた大沢啓二親分に復員してきた大沢清が「喝」を入れて親分が改心したからです。

 大沢清にとっては快心の投球であった。






       *大沢清快心のピッチングを伝えるスコアブック




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