2011年3月15日付けブログで、1974年夏の甲子園準々決勝、東海大相模vs鹿児島実業戦で延長12回裏に鹿実のセカンド中村孝選手が見せた超ファインプレーについて書かせていただきました。私の拙い記憶とアサヒグラフの記事に基づき書かせていただいた訳ですが、その後この試合と翌日の鹿実vs防府商業の準決勝の実況放送の録音テープ及び両試合を伝える日刊スポーツを偶然入手することができました。更に、愚ブログを通じて電子メールにて中村孝氏に直接当時のお話を聞かせていただくことができました。
と言うことで、「ファインプレー その二」をお届け致します。その一では「鹿実のセカンド中村孝選手が打球を追いジャンプ、ゆっくりと後方に身を投げ出し、(ここからはスローモーションを見ているようでした)空中でいったん止まり、打球がグローブに収まり、地面にドスンと落ちたのです。」と書かせていただきました。この場面を実況放送がどう伝えているかと言うと、「バッターは原雅(はら・まさみ)・・・ライト前だ、ライト前進、ライト前進、セカンドバック、セカンドバック、ジャンプ捕ってー・・捕りましたファインプレー。・・・中村孝のファインプレー。ボールに飛びついて、芝生の上にドーンとそのまま落ちました。そして立ち上がれません。今ようやく立ち上がりました。この拍手・・・」。
同点の12回裏二死二塁、落ちたらサヨナラと言う場面での捨て身のプレーでした。13回表に先頭打者として打席に立った中村孝選手には雨中の決戦を見守る観衆から大拍手が贈られました。私はボールを捕った中村選手が「ドスンと落ちた」と記憶していましたが、実況放送では「ドーンとそのまま落ちました」と伝えています。
日刊スポーツに掲載された久保監督の談話によると「定岡の力投、中村孝の美技、すべてよかった。中村孝は昨年遊撃をやっていたが、定岡の球が二塁によく飛ぶので二塁にまわした。」とのこと。東海大相模の原監督の談話は「・・・12回、二塁手のダイビングにはびっくりした。それに定岡君が予想以上によかったのに驚いた。」とのこと。当の中村選手の談話は「右翼が深く守っていたのを知っていた。これを捕るのは僕しかないと思った。あれだけ定岡がなげているんですもの必死だったですよ。」とのことです。
鹿児島実業が甲子園に出場するには鹿児島商業の堂園喜義投手を破らなければなりません。鹿児島商業・堂園喜義投手の一年下の弟、堂園一広投手はこの時鹿児島実業の二年生でした。中村氏にお聞きした話によると、一広投手は喜義投手とは少しフォームやボールの出どころが違っていたそうですが同じアンダーハンドということで仮想・堂園喜義に見立ててバッティング練習を重ねたそうです。
鹿実vs相模戦の翌日、六万の観衆を集めた準決勝・鹿実vs防府商業戦で定岡がホームに滑り込んだ際に右手首を捻挫して堂園一広投手がマウンドに立つ訳ですが、この試合の実況放送でも「堂園一広投手を鹿児島商業の堂園喜義投手の仮想に見立てて打撃練習を積んだ」と伝えています。
堂園喜義投手が鹿児島県高校野球史上最高の投手であることは前回もお伝えしておりますが、複数の方々が同様の見解を持っていることを確認しております。
堂園喜義投手攻略法として鹿児島実業が採った方法がバントの構えからバットをひいてコンパクトに振り抜く「プッシュ打法」です。今で言うバスター打法のことです。実況放送でもたびたびこの打法を伝えています。中村氏のお話でも堂園対策で採り入れた打法を甲子園でも使って14打数7安打の好成績につながったとのことです。
中村孝氏は現在、八王子リトルシニアのコーチとして後進の指導をされています。
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