5月19日 (金) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 セネタース 14勝12敗 0.538 金子裕
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 タイガース 18勝8敗1分 0.692 三輪八郎 若林忠志
勝利投手 金子裕 4勝6敗
敗戦投手 三輪八郎 1勝3敗
金子裕、3安打完封
セネタースは3回、一死後苅田久徳の遊ゴロをショート皆川定之が一塁に悪送球する間に苅田は二進、更に三輪八郎の暴投で三塁に進む。尾茂田叶の投ゴロは高く弾み三走苅田がホームに突っ込み三輪がバックホームするが間に合わずフィルダースチョイス、1点を先制する。三輪は続く佐藤武夫に四球を与えたところで降板、若林忠志がリリーフに登場して9回まで6イニング3分の1を投げて1安打無四球2三振無失点の好投を見せる。
若林以上の好投を見せたのがセネタース先発の金子裕。金子はタイガース打線を手玉に取り、3安打1四球7三振の完封で4勝目をあげる。
結局両チーム3安打ずつ、いよいよボールの劣化も激しくなってきたようだ。長期リーグ戦を見据えてかタイガースはこのところ青木正一、三輪八郎を先発させることが多くなっているが、本日は若林の好投が活かせなかった。
セネタースは野口二郎の二試合連続完投勝利に続いて金子裕の完封で三連勝。
金子裕はプロ入り前に「鎌倉老童軍」に在籍していた。2011年3月26日付けブログ「13年秋 セネタースvs南海 1回戦」で「鎌倉老童軍」は1934(昭和9)年の第8回都市対抗に出場した強豪倶楽部チームである。この時金子が出場していたかどうかは当ブログの調査能力では不明。」と書かせていただきましたが、その後の調査で、当時の都市対抗野球のテーブルスコアに二番レフト「金子」がこの試合で2打数0安打であったと記されていることが判明しております。この「二番レフト・金子」が「金子裕」のことなのかどうかは分かりませんが、金子裕であった可能性が高いのではないでしょうか。この試合は「全台北」に10対1で敗れていますが、当時の強豪チーム「川崎コロムビア」を破って出場しただけでも大したものです。
「鎌倉老童軍」は久米正雄や大佛次郎らの野球好きの鎌倉文士が作った倶楽部チームで久米正雄が総監督を務めている。早稲田大学時代に神宮で活躍し、卒業後も東京倶楽部や全大阪で活躍していた雨宮義信投手をスカウトして中心選手にしたようです。雨宮投手の旧姓は「水上」で、「水上義信」の名前は東京六大学野球の歴史を調べている方にはお馴染みでしょう。早稲田実業時代は名投手、早稲田大学以降は強打者としても知られている。審判もやっており昭和8年には延長25回の中京商業vs明石中学戦の球審を務めています。この時は「水上」姓なので昭和9年に「雨宮」姓になっているようです。その後「水上」姓に戻っているようです。「鎌倉老童軍」はその他にも東京六大学の元名選手を集めていますが、金子は無名選手だったのではないでしょうか。プロフィールを調べると多くは明治中学(明治商業)出身となっていますが鎌倉中学出身となっている資料もありますので地元の選手ということで参加していた可能性もあります。
*金子裕がタイガース打線を3安打完封。
お世話になっております。
返信削除久野勝美投手の情報はありますでしょうか。
教えて頂きたいです。
ご質問ありがとうございます。今のところ、久野投手に関する情報はありません。昭和21年の解読が始まれば何か分かるかもしれませんので、今しばらくお待ちください。
削除水上義信の子孫です。
返信削除比較的若く亡くなった為、写真や野球時代のデーターも家族にはあまり伝わっておらず、ネットで探していました。
母が大変喜んでおります、ありがとうございます。