大和球士著「真説 日本野球史」昭和篇その三に「早慶戦と東西対抗の一騎討ち」の項があります。引用させていただきますと「春の早慶戦が行われた昭和14年6月3、4日の両日、人気薄の職業野球が東西対抗を挙行して、勝負を挑んだ。これを壮挙といわずして何といおうか。しかも、この快挙録、何故か、世に伝えられていない・・・いわば、幻の東西対抗戦」
野球の素人鈴木龍二・聯盟理事だからこその発想であり、野球の玄人であれば天下の早慶戦にぶつけるなど思いもよらない事であったらしい。Wikipediaで「職業野球 東西対抗」を検索しても出てこないので本当に幻の東西対抗であったようです。主力選手による一戦と、新人だけによる新人東西対抗に分けて行われた。
6月3日付け読売新聞は「全日本東西対抗並びに新人対抗野球戦はいよいよ今明両日後楽園で挙行される。・・・・・現在日本の球界に求め得る練達精鋭の一粒選りを以て組織された東西軍の決戦こそまさに野球試合の最高峰をゆくもので・・・」と伝えている。戦前の野球と言えば六大学が最高峰で職業野球などレベルが低いと考えられてきた訳であるが、先日お伝えした鶴岡一人の証言からも分かるように、どうやら職業野球の実力は六大学に劣っていなかったようである。何より当時のファンがそれを知っており、3日土曜日は2万8千人の満員、4日日曜日は3万人の超満員であったと伝えられている。
6月3日の新人対抗戦は東軍が中尾輝三、西軍が平野正太郎の先発で13対5で西軍の勝利。西軍の主将・鶴岡一人は4打数4安打、東軍の主将・高須清は4打数2安打の活躍であった。西軍の先発は荒木政公の予定であったが徴兵検査のため長崎に帰って戻ってきたばかりで登板は無理のようであった。因みに荒木はこの検査で合格したため今季限りで兵役に就き、二度とプロ野球のマウンドを踏むことなく戦死することとなる。旧人による東西対抗は東軍スタルヒン、西軍西村幸生の先発。9対2で東軍の勝利となった。
6月4日の第二戦は新人対抗が東軍が野口二郎、西軍が亀田敏夫(タイガース。亀田忠の弟)の先発で5対4で東軍の勝利。荒木はリリーフで登板した。鶴岡は5打数2安打4打点の活躍であった。旧人対抗は東軍が望月潤一、西軍が菊矢吉男の先発。6回に黒田健吾が望月からツーランホームランを放ち西軍が3対2で東軍を降した。
0 件のコメント:
コメントを投稿