2011年10月6日木曜日

皇帝


 シンボリルドルフ号が30歳の大往生を遂げました。馬齢は人間×4と言われていますが加齢にしたがって差が無くなりますので10歳までを×4、20歳までを×3、30歳までを×2としますと馬の30歳は人間の90歳となりますので大往生と言えます。死因は老衰とのことです。

 馬名の由来はローマ皇帝「ルドルフ一世」からですので「皇帝」と呼ばれましたが、その走りっぷりはまさに「皇帝」でした。若い競馬ファンの方からよく「ディープインパクトとシンボリルドルフはどっちが強かったですか?」と聞かれるのですが、「ディープの『素軽さ』に比べてルドルフの強さは『重厚さ』にあったのさ。」と答えることにしています。

 ルドルフを初めて見たのは弥生賞の時です。まだビゼンニシキとどっちが強い?と議論されていた頃です。一番人気はビゼンニシキでした。このレースを見て三冠を確信しました。前年ミスターシービーがシンザン以来の三冠を達成していたので、どう見てもシービーより強いのだから三冠は確実と見た訳です。

 皐月賞はビゼンニシキとぶつかり合いながら競り勝ち、ダービーは最も危なかったレースですが結果は圧勝、菊花賞も抜け出すまでどうかという場面がありましたが史上初の無敗の三冠を達成しました。この頃は菊花賞からジャパンカップまでは中一週でしたが敢然と出走してきました。ここでルドルフが三着と敗れたことをきっかけとして菊花賞からジャパンカップまでの間隔を空けることとなった訳です。有馬記念までは十分調整期間がありましたので、前を行くジャパンカップ馬・カツラギエース、後ろから来る前年の三冠馬・ミスターシービーを両睨みしながらレースを進め、抜群のタイミングで抜け出して四冠を達成しました。

 五歳(旧馬齢表記です。現在なら四歳)春の天皇賞はサクラガイセンとの一点買いで馬券も大儲けでした。これでシンザンに並ぶ五冠を達成しました。サクラガイセンは八番人気でしたが、前年の有馬記念五着のレースぶりが非常に良かったので思いきって狙ってみました。宝塚記念を回避したあたりから雲行きが怪しくなってきました。秋の天皇賞はギャロップダイナの強襲に屈して二着に敗れました。ギャロップダイナはこの年の夏の札幌のレースで騎手を振り落として一着でゴールしたことで話題となりました。もちろん落馬ですから勝馬とはなりませんでしたが、いかにも伸び伸びと走っていたので私は「自由人」と名付けました。雨のジャパンカップを圧勝して六冠を達成し、いよいよ国内最終レースの有馬記念に向かいます。

 ルドルフの相手は皐月賞、菊花賞の二冠馬・ミホシンザンで間違い無いと確信していましたので、有り金全て(と言っても数万円ですが)一点買いでした。連勝(当時は今で言う枠連だけです。)160円の配当は余りにも美味し過ぎました。これで七冠を達成しましたが、翌年のアメリカ遠征でレース中故障して現役を引退します。サンルイレイ・ステークスでした。


 ルドルフの全レースに騎乗した岡部幸雄騎手は「人生の一部だった。」とコメントしています。馬券を通して競馬と関わるファンとしては「生活の一部だった。」とコメントさせていただきます。



*皐月賞のパドックで撮った写真です。右がシンボリルドルフ、左がビゼンニシキです。







*菊花賞の単勝馬券。この日は神宮外苑で草野球だったので後楽園で馬券を買ってから信濃町に向かいました。







*84年の有馬記念。この年は中山競馬場に見に行きました。








*85年春の天皇賞。サクラガイセンとの連複は1,290円でした。








*国内最後のレースとなった85年有馬記念。七冠を達成しました。










*ルドルフの引退後、繁殖に上がる前に千葉県のシンボリ牧場でファンとのお別れ会がありました。その時うろついていたシンボリルドルフを撮影した写真です。判別不能かもしれませんが、繁殖に上がる前の貴重な最後の姿です。撮っちゃダメと制するおじさんの手も写っています。







*おぼろげながらお馬さんの姿に見えると思いますが、シンボリルドルフです。







*こちらはその時シンボリ牧場で販売されていた写真です。



0 件のコメント:

コメントを投稿