2013年9月8日日曜日

16年 南海vs阪急 1回戦


4月12日 (土) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 2 3 南海 1勝4敗 0.200 川崎徳次 石田光彦
7 0 1 0 0 0 0 0 X 8 阪急 4勝2敗 0.667 笠松実 江田孝

勝利投手 笠松実     1勝1敗
敗戦投手 川崎徳次 0勝3敗
セーブ      江田孝   1

勝利打点 フランク山田伝 1


笠松実、3年半ぶりの勝利

 阪急は初回、先頭の中島喬が右前打から二盗に成功、フランク山田伝が右前に先制タイムリーを放って1-0、ライト岡村俊昭からのバックホームをキャッチャー木村勉が逸らす間に打者走者の山田は二塁に進んで無死二塁、山田は三盗に失敗するが、上田藤夫が四球を選んで出塁、新富卯三郎の左前打で一死一二塁、黒田健吾の右前タイムリーで2-0、一走新富は三塁に進み、黒田が二盗を決めて一死二三塁、森田定雄が四球を選んで一死満塁、日比野武が押出し四球を選んで3-0、南海ベンチはここで先発の川崎徳次をあきらめて石田光彦をリリーフに送る。田中幸男が押出し四球を選んで4-0、笠松実の遊ゴロをショート前田貞行が失して5-0、打者一巡してトップに返り中島の中犠飛で6-0、山田の遊ゴロを又も前田がエラーする間に二走田中が還って7-0とする。

 阪急は3回、先頭の田中が中前打、二死後山田が右前打、南海の中継が乱れる間に一走田中が還って8-0とする。

 阪急先発の笠松実は4回まで無安打ピッチング、5回、柳鶴震に初ヒットを許すが無失点、6回も三者凡退に抑える。

 大量リードの阪急は7回からプロ入り初登板となる江田孝をマウンドに送る。

 6回まで笠松に1安打に抑え込まれてきた南海は7回、代わった江田を攻めて一死後木村が左前打で出塁、岡村も左前打で続き一死一二塁、柳鶴震の一ゴロで岡村が二封されて二死一三塁、ここでダブルスチールを決めて1-8とする。

 南海は9回、一死後村上一治が左前打で出塁、木村の右前打で一死一三塁、岡村の遊ゴロの間に三走村上が還って2-8、ショート上田からの一塁送球が悪送球となって一死二三塁、柳が四球を選んで一死満塁、石田に代わる代打神田武夫は二飛に倒れるが、トップに返り国久松一が押出し四球を選んで3-8、しかし安井健太郎が遊ゴロに倒れて阪急が逃げ切る。


 神田の代打起用に「おやっ」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の「野球界」を読むと、京都商業時代の神田武夫は打撃にも定評があり「プロでは外野手として起用されるのではないか」という記事も見られます。


 戦場から戻ってきた笠松実は6イニングを投げて1安打3四球4三振無失点の好投で帰還後初勝利をあげる。笠松の勝利投手は昭和12年秋季の9月20日、イーグルスvs阪急2回戦で2回途中からロングリリーフして8イニングを3安打5四球3三振無失点に抑えて3勝目をあげて以来、3年半ぶりとなる。笠松はその後5連敗したまま応召したので、3年半ぶりに連敗から脱したことになる。笠松はこの後2年連続二桁勝利を記録し、戦後も阪急、国民リーグの唐崎クラウン、創設期の広島で活躍するなど、長く現役を続けることとなる。


 ルーキーの江田孝がプロ入り初登板で初セーブを記録した。但し大量リードから3イニングを投げたことによりセーブが記録されたものであり、4安打3四球3失点のほろ苦いデビューでもあった。江田が真価を発揮するのは戦後のことで、昭和25年の松竹ロビンスでは真田重男の39勝に次ぐ23勝をあげて二リーグ分裂後のセ・リーグ初優勝の原動力となる。引退後は近鉄、太平洋クラブ、クラウンライターでコーチを務めるが78年、クラウン最後の年のキャンプ中に急逝する。2010年2月にスポニチ紙上で連載された東尾の「我が道」第13回に「江田孝投手コーチのことを思うと複雑だった。78年の島原キャンプ中に脳梗塞で亡くなった江田さんは71年まで近鉄のコーチ。(鈴木=筆者注)啓示さんも教え子だった。」と書かれています。







*笠松実は6イニングを1安打3四球4三振無失点に抑えて戦場から帰還後初勝利をあげる。後に20勝投手に成長する江田孝はほろ苦いデビューとなったが当ブログルールによりセーブが記録された。











*昭和26年広島カープのサイン色紙に残された笠松実のサイン。「広島」の下です。球団創設期の広島はメンバーを集めるのに苦労しており、戦前のプロ野球選手が数多く在籍しています。笠松の右隣は昭和15年まで名古屋に在籍した高木茂です。高木は昭和25年、10年ぶりに広島でプロ野球に復帰しました。中山正嘉、内藤幸三、森井茂、山口政信も参画しています。











 

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