2013年9月2日月曜日

16年 阪神vs名古屋 2回戦


4月8日 (火) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 4 0 0 0 0 0 0 0 4 阪神    2勝2敗 0.500 若林忠志
0 1 0 0 0 0 0 2 0 3 名古屋 2勝2敗 0.500 西沢道夫 河村章

勝利投手 若林忠志 2勝1敗
敗戦投手 西沢道夫 0勝2敗

二塁打 (名)村瀬
本塁打 (神)堀尾 1号

勝利打点 ジミー堀尾文人 1


ジミー堀尾先制本塁打

 阪神は2回、先頭のジミー堀尾文人がレフトスタンドに先制ホームランを放って1-0、松尾五郎の遊ゴロをショート村瀬一三がエラー、土井垣武の三ゴロをサード芳賀直一もエラーして無死一二塁、若林忠志が二前にバント安打を決めて無死満塁、平林栄治が右前にプロ入り初ヒットとなるタイムリーを放って2-0、二走土井垣も三塁ベースを蹴ってホームを狙い、ライト吉田猪佐喜からのバックホームはタイミングはアウトであったが悪送球となって土井垣がホームイン、3-0とする。土井垣の得点は吉田のエラーによるもので、平林には1打点が記録されている。一走若林は三塁に、打者走者の平林は二塁に進んで無死二三塁、名古屋ベンチは先発の西沢道夫をあきらめて河村章をマウンドに送り、森国五郎は三ゴロに倒れて一死二三塁、トップに返り皆川定之の右犠飛で4-0とする。

 名古屋は2回裏、一死後服部受弘、三浦敏一が連続四球で一死一二塁、芳賀の遊ゴロは「6-4-3」と送られるがセカンド宮崎剛からの一塁転送が悪送球となる間に二走服部がホームに還り1-4とする。

 名古屋二番手の河村は3回から8回まで阪神打線を2安打無失点に抑える好投で味方の反撃を待つ。

 名古屋は8回裏、先頭の木村進一が二塁に内野安打、トップに返り本田親喜が左前打を放って無死一二塁、村瀬が右中間に二塁打を放ち二走木村に続いて一走本田も三塁ベースを蹴ってホームを狙うがライト平桝敏男-セカンド宮崎-キャッチャー土井垣と渡ってタッチアウトとなり1点止まり、桝嘉一が左前にタイムリーを放って3-4、吉田の遊ゴロでランナーが入れ替わり、服部が左前打、これをレフト松尾が弾く間に走者進塁して二死二三塁、しかし三浦が三振に倒れてスリーアウトチェンジ。

 若林忠志は最終回の名古屋の反撃を三者凡退に退けて、7安打3四球5三振の完投で2勝目をあげる。


 2回に貴重な追加点となるタイムリーを放った平林栄治は松本商業の出身。昨年(昭和15年)、春、夏の甲子園に出場している。センバツでは1回戦で徳島商業と対戦、相手のピッチャーは蔦文也で、平林は五番ショートで出場して4打数1安打を記録した。蔦を打ち崩して4対3で勝って2回戦に進出するが、前年優勝でこの大会でもベスト4に進む東邦商業に1対4で敗れた。この試合では平林は四番に座っている。東邦商業のエース松本貞一は前年(昭和14年)に続きこの大会でも「優秀選手賞」に選ばれており、平林と共に今年阪神に入団している。同大会で京都商業を準優勝に導いた神田武夫が南海に入団して既に大活躍しているのは当ブログでお伝えしているとおりです。


 1回戦で松本商業に敗れた徳島商業のエース蔦文也は戦後は社会人野球で活躍し、昭和25年に東急フライヤーズに入団し、プロ野球も経験する。その実力を発揮するのは池田高校の監督に就任してからのこと。1974年の第46回センバツは部員11人で準優勝して「さわやかイレブン」と呼ばれた。翌年金属バットが解禁されると筋力トレーニングと山道を走りまくるランニングで「やまびこ打線」を作り上げ、高校野球に革命を起こすこととなる。82年の第64回夏の甲子園では準々決勝で荒木大輔の早実を14対2で撃破し、決勝の広島商業を12対2で粉砕した打撃には驚かされました。江上、畠山、水野と並ぶクリーンナップは破壊力満点でしたね。







                 *若林忠志は7安打完投で2勝目をあげる。









*平林栄治が追撃のタイムリーを放った阪神打線。平林はこれが今季唯一のヒットと打点になった。














*徳島商業時代は昭和15年のセンバツで松本商業の平林栄治と対戦した蔦文也・池田高校監督のサイン色紙。










 

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