2013年9月20日金曜日

16年 名古屋vs阪急 3回戦


4月15日 (火) 甲子園

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 1 1 0 0 1 0 3 名古屋 3勝5敗 0.375 村松幸雄 河村章
0 0 0 4 0 0 2 0 X 6 阪急    5勝3敗 0.625 森弘太郎
勝利投手 森弘太郎 3勝0敗
敗戦投手 村松幸雄 0勝1敗

二塁打 (名)服部

勝利打点 森田定雄 1


阪急バント攻勢

 3回まで無安打の名古屋は4回、先頭の本田親喜が四球で出塁、村瀬一三の一前送りバントをファースト森田定雄がお手玉、犠打エラーが記録されて無死一二塁、桝嘉一は右飛に倒れるが、吉田猪佐喜が中前に先制タイムリーを放って1-0とする。

 阪急は4回、一死後上田藤夫が四球から二盗に成功、井野川利春、新富卯三郎も連続四球で一死満塁、黒田健吾の一塁線スクイズバントが内野安打となって1-1の同点、森田が二前にスクイズを決めて2-1と逆転に成功、なお一死二三塁から伊東甚吉が左前に追撃の2点タイムリーを放って4-1とする。阪急打線は村松幸雄の突然の乱れを見逃さなかった。

 名古屋は5回、先頭の服部受弘が左翼線に二塁打、芳賀直一が左前打を放って無死一三塁、村松に代わる代打岩本章の中犠飛で2-4とする。

 名古屋は先発の村松に代打を出したので5回から河村章をマウンドに送る。

 阪急は7回、先頭の伊東が中前打、森弘太郎の投前送りバントが野選を誘い、トップに返り中島喬の三前バントが内野安打となって無死満塁、フランク山田伝の投前スクイズはピッチャー河村がホームに送球して三走伊東を刺し一死満塁、上田が押出し四球を選んで5-2、井野川利春の左犠飛で6-2と突き放す。

 名古屋は8回、一死後河村が左前打、レフト中島が後逸する間に河村は三塁に進み、木村進一の中前打で3-6とするがここまで。

 森弘太郎は6安打2四球無三振の完投で開幕3連勝を飾る。


 阪急は5安打で6得点をあげた。記録に表れた犠打は2個だけであったが、合計5個のバントを駆使して得点を積み重ねていったと考えられる。


 勝利打点は森田定雄のスクイズに記録されたが、真の殊勲打は伊東甚吉の追撃弾であった。伊東は7回にも追加点のきっかけとなる中前打を放っている。滝川中学時代から名二遊間コンビと謳われた田中幸男と共に阪急に入団して三年目、伊東は今季限りで応召し、戦死することとなる。








             *森弘太郎は6安打完投で開幕から無傷の3連勝を飾る。














*伊東甚吉が真の殊勲打を放った阪急打線。記録に表れた犠打は2個であったが5つのバント攻勢を見せたと考えられる。











 

2 件のコメント:

  1. 創設時の阪急軍というのは、宮武三郎、両山下、ジミー堀尾といった長距離砲が連ねていましたが、この1941(昭和16)年の時点でチームに残っているのは両山下の山下好一のみ。
    監督の井野川利春は学生、ノンプロでは強打の捕手として鳴らしましたが、攻撃的な戦法をとらず、小粒な打線と劣悪な使用球を考慮してスモールボールを展開しました。特にこの日の試合の様にスクイズバントを多用したようです。
    西村正夫、黒田健吾、上田藤夫、山田伝、中島喬、伊東甚吉といった小技に長けた選手が多くいたのも大きかったですね。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. 使用球については昭和15年に比べて飛ぶようになっているようで本塁打数も増えています。
      開幕戦は9対6、他にも9対8と7対6のサヨナラゲームもありました。今後、二桁得点の試合も登場します。

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