4月8日 (火) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 3 0 0 0 3 阪急 2勝2敗 0.500 浅野勝三郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 2勝2敗 0.500 井筒研一 福士勇
勝利投手 浅野勝三郎 1勝1敗
敗戦投手 井筒研一 0勝1敗
二塁打 (朝)灰山
勝利打点 なし
浅野勝三郎、最後の完封勝利
阪急は5回まで3安打無得点。
阪急は6回、先頭の中島喬の遊ゴロをショート前田諭治が一塁に悪送球、フランク山田伝の三前バントが内野安打となって無死一二塁、上田藤夫の投前送りバントをピッチャー井筒研一がお手玉、犠打エラーとなって無死満塁、新富卯三郎の三ゴロをサード鬼頭政一がホームに悪送球、三走中島に続いて二走山田も還って2-0、なお無死二三塁から黒田健吾の遊ゴロの間に三走上田が還って3-0とする。
朝日は7回から先発の井筒に代えて福士勇をマウンドに送る。福士は7回以降の3イニングを無安打3四球2三振無失点に抑える。井筒も6イニングを4安打1四球1三振、3失点ながら自責点はゼロであった。
浅野勝三郎は6安打2四球4三振の完封で今季初勝利を飾る。浅野はプロでは無安打無得点を含めて通算9回の完封勝利を記録していますが、本日が最後の完封勝利となります。
浅野勝三郎は旧姓・山田勝三郎、明石中学では楠本保の一年後輩で中田武雄と同期となります。昭和8年の第19回夏の甲子園準決勝、明石中学vs中京商業の延長25回の死闘では一番センターとして出場したことは当ブログでもお伝えしたとおりです。その後の調査において、前年のセンバツでは四番バッターであったことが判明しております。中等野球時代にピッチャーをやっていた記録は発見できていませんが、プロに進んで“二刀流”として活躍するだけの打撃の下地は明石中学時代にあったわけです。
*浅野勝三郎は6安打完封で今季初勝利をあげる。浅野にとってこれがプロでの最後の完封勝利となった。
*昭和8年センバツのテーブルスコア。中田武雄が二番、楠本保が三番、山田(浅野勝三郎)が四番を打っています。毎日新聞社による昭和53年9月20日発行「選抜高等学校野球大会50年史」から転載させていただいております(以下同様)。肖像権に抵触する可能性がありますので、問題がある場合は削除させていただきます。貴重な資料ということで掲載させていただきました。
*この大会で山田(浅野勝三郎)は外野手部門の優秀選手として表彰されました。外野手部門には同僚の中田武雄、岐阜商業の2年生だった松井栄造の名前も見られます。
0 件のコメント:
コメントを投稿