2012年4月14日土曜日

天馬vs貴公子 ①


 今月のスポニチの「我が道」は武邦彦です。今でこそ武豊の父親になってしまいましたが、当時は「天才・福永洋一」と並んで「名人・武邦彦」と呼ばれていました。昨日はいよいよ昭和51年の有馬記念でトウショウボーイに初騎乗して勝った場面、本日はテンポイントとの激闘の場面が紹介されています。と言うことで、昭和51年と52年の競馬界を振り返ってみましょう。

 私が競馬を競馬として見るようになったのは昭和51年のテイタニヤが勝った桜花賞からです。翌週は皐月賞のはずですが厩務員ストのため開催は微妙な状況でした。市川から日吉までは電車に乗る時間が軽く1時間を超えますので、朝は6時50分に市川駅でデイリースポーツを買って隅から隅まで暗記するくらい読みます。軟式野球部の練習が終わって日吉の駅で東スポを買うのは8時過ぎですが隅から隅まで読んでました。10時に家に着いて6時半に家を出るという繰り返しでした。

 一週延期された皐月賞は東京競馬場で行われ、トウショウボーイが2着テンポイントに5馬身差を付けて圧勝しました。この週も開催されるか微妙でテンポイントは調教を控えたのに対してトウショウボーイ陣営は追い切りをかけて延期なら皐月賞はスキップしてダービーに向かう戦略を採ったことが功を奏した訳です。

 テンポイントはダービーで雪辱を期しますが主戦の鹿戸明騎手が負傷のため武邦彦騎手がテンポイントに騎乗することとなりました。テンポイントの生涯で唯一鹿戸明騎手が騎乗できなかったレースです。前売りでクライムカイザーの単勝オッズが40倍だったのに目を付けてクライムカイザーを本命にしました。加賀武見騎手の奇襲によりクライムカイザーが勝ってトウショウボーイは2着。人生初の予想的中でした。もちろん学生ですから馬券など買っている筈がありません(笑)。最終オッズは16倍ほどでした。テンポイントは剥離骨折で7着に敗れました。

 現在ではグリーングラスを加えて「TTG」と信じられているようですが、ここから秋まではトウショウボーイとクライムカイザーが中心となり「TC」と呼ばれていました。両馬は夏の札幌記念に出走します。ダートの鬼・グレートセイカンが逃げ切ったかと思われた瞬間、トウショウボーイが差し切りました。クライムカイザーは3着。

 神戸新聞杯と京都新聞杯は共にトウショウボーイが勝ってクライムカイザーが2着。当然菊花賞は2強の争いと見られていました。テンポイントは京都大賞典3着でようやく菊に間に合いました。この時の関西テレビ・杉本清アナウンサーの実況は「テンポイントは十分だ。テンポイントはこれで十分だ。」と勝ったパッシングベンチャそっちのけで3着のテンポイントを伝えていました。杉本アナは阪神三歳ステークスの「見てくれこの脚、見くれこの脚、これが関西の期待テンポイントだ!」以来のテンポイントファンであることはご存じのとおり。

 いよいよ菊花賞を迎えます。・・・続く



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