2012年4月22日日曜日

ハードバージ、ラッキールーラ、プレストウコウ


 先月のスポニチの「我が道」では具志堅用高でインターグシケンが登場し、今月は武邦彦が主役ですので懐かしい名前が多く出てきます。当ブログでは昭和51年と昭和53年のクラシックロードをお伝えしてきまたが昭和52年が抜けており画竜点睛を欠いておりました。武邦彦編で昭和52年の皐月賞馬・ハードバージの名前が出てきましたので、昭和52年のクラシックロードをお伝えします。



 前年の朝日杯3歳ステークスはマルゼンスキーが1分34秒4の奇跡的大レコードでヒシスピードを13馬身の大差で破りますが当時は持込馬にはクラシックの出走権がありませんでした。年明けの京成杯とトキノミノル記念をそのヒシスピードが勝ったので今年のクラシックはレベルが低いと言われるようになります。毎日杯を10番人気で勝ったはハードバージは皐月賞でも8番人気の低評価でしたが天才・福永洋一が直線で内を突いて勝ちました。このレースはユーチューブで見ることができますので天才・福永洋一の天才的騎乗ぶりをご覧ください。ラッキールーラが2着、プレストウコウは13着でした。私はパドックで見ていましたがラッキールーラの気合乗りが物凄く、プレストウコウの元気のなさが目に付きました。もちろんハードバージはノーマークでした。大学1年生ですから当然馬券は買っていません(笑)。免許を取るのに手間取っていたため準硬式野球部に入部するのは5月のこととなりますので皐月賞の頃はヒマでした。


 NHK杯でプレストウコウが復活して迎えた日本ダービー、マルゼンスキーは当然出走していませんが、主戦の中野渡騎手は「大外でいい、賞金もいらない、決して他馬の邪魔はしないから出走させてほしい。」と悲痛な叫びをあげていました。天才・福永洋一はホリタエンジェルに乗り替わり、ハードバージには武邦彦が騎乗することとなります。今月の「我が道」にハードバージの名前が登場するのはこうした経緯によるものです。レースはラッキールーラが逃げて逃げて逃げ粘って大外を強襲したハードバージを抑えて勝ちました。この年のオークスのリニアクインよりも勝時計が遅かったため、レベルの低い世代と言われています。


 日本短波賞にマルゼンスキーとプレストウコウが出走しました。マルゼンスキーが三コーナーで厩舎に帰ろうとしてしまい失速してから再び走り出してプレストウコウを7馬身ちぎったレースです。このレースもユーチューブで見ることが出来ますので是非マルゼンスキーの天才ぶりをご覧ください。春のリーグ戦も終っていましたので中山競馬場で観戦していました。マルゼンスキーが光り輝いていたのをよく覚えています。


 セントライト記念を勝ち京都新聞杯をレコード勝ちしたプレストウコウは何故か菊花賞では低評価でした。グレイソブリン系グスタフの血が長距離に向かないと決めつけられていました。プレストウコウを本命に推して予想は大的中、当然馬券は買っていませんが(笑)。1年生の私が予想を的中させたことは瞬時に部内に伝わり、初めてキャプテンから褒められました。野球では一度も褒められたことはありませんが。


 マルゼンスキーは有馬記念には出走することができず、引退して種牡馬として大成功をおさめました。プレストウコウは有馬記念に出走しましたがTTGには全く歯が立ちませんでした。


 ハードバージは種牡馬では成功せず、荷車を引きながら熱射病でこの世を去ることとなります。プレストウコウとラッキールーラは韓国に売られて行きました。彼の地では手厚くもてなされたとも言われていますが。


 私が最も競馬に熱中していた3年間についてお伝えしてきました。偶然「我が道」に具志堅用高と武邦彦が2か月連続で登場してくれたお陰です。
 
 
     *昭和52年有馬記念のパドックにおけるプレストウコウの雄姿。
 
 
 
 
 
     *プレストウコウと郷原洋行騎手。
 
 
 
 
 
 
 
 
*プレストウコウの引退式の模様。4歳秋には銭形が浮かび上がっていましたがこの頃は真っ白でした。因みに芦毛馬は銭形が浮かび上がっている時が好調時であると言われています。
 
 
 
 
 

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