12月1日からの日本選手権争奪戦を前に、日本職業野球聯盟から最高殊勲選手にバッキー・ハリスが選出されたと発表された。当時のMVPは最高殊勲選手と称され、1963年から最優秀選手と改称されたようですが、12月1日付け読売新聞には、見出しには「最高殊勲選手・ハリス」となっていますが、解説文中には「今シーズン全選手のNo1として表彰する最優秀選手は・・・イーグルスのハリス捕手と決定」と記述されており、当時から「最優秀選手」の呼称も使用されていたようです。
第一次候補者はバッキー・ハリス、苅田久徳、西村幸生、水原茂の四人で、ハリス以外の落選理由は、水原は「守備に完璧さを欠いた」(読売)、「48試合12失策を記録した」(大和球士著「真説 日本野球史」)こと、西村は「投手としては春の澤村に比すべくもなく」(読売)、「春の澤村と比較して劣るとされ」(大和)たこと、苅田は「守備に於いては断然リーグの第一人者と認められながら打撃不振のため」(読売)、「今季は打率2割2分5厘の低率のため不満足とされ」たためである。
ハリスの選出理由は「打撃において強打者の多いイーグルス軍をリードすると共にリーグ随一の名捕手ぶりを遺憾なく発揮して畑福、中河両主戦投手を巧妙にリードし、春の最下位から一躍秋は第二位巨人軍と紙一重の差にまで迫るイーグルスの戦勝に抜群の働きを見せた」(読売)、「打率3割1分で、ベストテンの第五位を占め、畑福、中河両投手の持ち味を充分に引き出し、正確強肩の各塁送球力を高く買われ」(大和)たものである。
また、最優秀打者には首位打者の景浦将が選出されましたが、読売新聞には「景浦の打数について審議した結果、打数120に四死球45を加えた165の打席を適当と認めて今秋のリーディングヒッターとすることに決定した」と書かれています。タイガースの試合数は49試合であり、現行ルールのとおり試合数×3.1を規定打席とすると151打席となり、165打席の景浦が規定打席に達していることは議論の余地はないはずですが、この記述からすると当時はまだ明確な規定打席の基準が設けられていなかったことがうかがわれます。Wikipediaによると昭和12年秋の規定打席は打席数ではなく「100打数」であるとなっています。Wikipediaの記載が正しいとしても景浦の打数は120であり議論の余地はないはずです。
なお、10月27日のジャイアンツVSセネタース3回戦は平山菊二が故意に苅田久徳の送球に当たったのではないと裁定され、再試合を行うこととなったことも同時に発表されました。結局、選手権の日程上再試合は行われず、無効試合となります。この結果ジャイアンツとセネタースの昭和12年秋季リーグ戦の試合数は他球団より1試合少ない48試合となりました。また、この試合の負け投手であった澤村の負け数も一つ減じられ、澤村の昭和12年秋季リーグ戦の公式記録は9勝5敗となりました。
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