2010年9月22日水曜日

12年秋 セネタースvs名古屋 4回戦

10月4日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 1 0 0 0 2 0 0 3 セネタース  8勝11敗1分  0.421  浅岡三郎 野口明
1 0 0 0 0 1 0 0 0 2 名古屋       6勝12敗2分  0.333  木下博喜 田中実


勝利投手 浅岡三郎 2勝4敗
敗戦投手 木下博喜 1勝4敗
セーブ   野口明 1


二塁打 (セ)家村 (名)大沢
三塁打 (名)高木
本塁打 (名)木下 1号


試合巧者セネタース


 名古屋は初回、先頭の石丸藤吉が遊失に生き、石田政良が送りバント、高木茂が右翼線に三塁打を放って1点を先制する。2回も2安打と四球で満塁、3回にも一死後大沢清の右中間二塁打でチャンスを作るが得点はならず。序盤の追加点のチャンスを生かせなかったことが敗因となる。


 セネタースは3回、一死後中村信一が三遊間を破るとすかさず二盗を決める。苅田久徳の三前内野安打で一死一三塁、尾茂田叶の遊ゴロの間に中村信が生還して1-1の同点。


 名古屋は6回、二死後先発ピッチャー木下博喜が左翼スタンドへホームラン(翌日の読売新聞・市岡忠男の論評には「右翼本塁打」と記述されている。読売の論評は数人の評論家が担当しているが、市岡の論評は秀逸であり最も信頼度が高い。これは編集の際の誤植であろう。)、2-1とリードする。


 4~6回まで無安打のセネタースは7回、先頭の家村相太郎が左越えに二塁打、伊藤次郎の三前送りバントが内野安打となり無死一三塁、ここで名古屋ベンチは木下博喜から田中実にスイッチ、伊藤が二盗を決めて横沢七郎四球で無死満塁。ここからの点の取り方がいかにもセネタースらしいところ。浅岡三郎の中犠飛で2-2の同点、二走伊藤もタッチアップから三塁に進み、一走横沢も二塁に進む。続く中村信の当りは遊撃後方への小フライ、ショート芳賀直一が左前まで追って向こうむきで捕った瞬間三走伊藤次郎がスタート、芳賀のバックはームは間に合わず伊藤が生還して3-2と逆転に成功する。中村信一は遊犠飛で1打点を記録する(犠飛は当ブログ独自で判定しています。当時は犠牲フライは記録されておらず中村信の記録はショートフライで凡打扱いとなり打数が1記録されていますが打点は1記録されています。内野ゴロによる生還の場合は凡打と打点が記録されるのは現行ルールと同様ですが、内野フライによる三塁走者の生還は極めて珍しいケースとなりますので詳述させていただきました。)。


 浅岡三郎は7、8回を三者凡退に退け9回、三浦敏一を投ゴロ、石丸を三ゴロに打ち取り完投勝利まであと一人。しかし石田の代打桝嘉一が中前打、高木に四球を与えたところで無念の降板、野口明に後事を託す。野口明は大沢清に四球を与えて二死満塁とするが小島茂男の代打遠藤忠二郎を二ゴロに打ち取りゲームセット。


 4安打のセネタースが8安打の名古屋を降す。セネタースが試合巧者ぶりを遺憾なく発揮した試合であった。

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