2014年2月11日火曜日

須田博、戦線離脱




 昭和16年7月17日付け読売新聞に「巨人軍は須田病気とあって僅か一日休養の澤村をまず押立てねばならなかった。」の記述が認められる。


 大和球史士著「真説日本野球史」には「巨人はエース須田(スタルヒン)が病気で欠場し」、松木謙治郎著「タイガースの生いたち」には「須田が疲労のため7月中旬病気に伏す」と書かれている。



 須田博は今季ここまで20試合に登板して15勝3敗であったが、今季の登板はもうない。7月29日付け読売新聞は「巨人軍へ新投手」の見出しで「大津商業出身大津青嵐の投手として都市対抗で活躍した広瀬習一投手は今回巨人軍に入社した・・・須田主戦投手病む投手団を固めることとなった」と伝えている。須田離脱の穴を広瀬が埋めることとなります。






 

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