7月14日 (月) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 1 0 0 0 0 0 0 0 1 阪急 22勝17敗 0.564 森弘太郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 名古屋 18勝21敗 0.462 河村章
勝利投手 森弘太郎 14勝4敗
敗戦投手 河村章 9勝4敗
勝利打点 伊東甚吉 3
ファインプレー賞 (名)大沢清 1
森弘太郎、今季6度目の完封
阪急は2回、一死後新富卯三郎が四球で出塁、田中幸男は左飛に倒れるが日比野武が左前打を放って二死一二塁、伊東甚吉が中前にタイムリーを放って1点を先制する。
名古屋は3回、一死後牧常一が中前打、河村章も左前打で続いて一死一二塁、トップに返り木村進一が四球を選んで一死満塁、しかし桝嘉一の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。
名古屋は6回、一死後木村が四球を選んで出塁、桝の左前打で一死一二塁、しかし大沢清の二ゴロが「4-6-3」と渡って又もダブルプレー。
森弘太郎は3安打2四球1三振で今季6度目の完封、14勝目をあげる。
名古屋のヒットは3本だけ、しかも何れもダブルプレーでチャンスを潰した。
決勝打を放った伊東甚吉は滝川中学では田中幸男との二遊間コンビで名を馳せて昭和14年に一緒に阪急に入団した。この名二遊間コンビは昭和11年~13年のセンバツに三年連続出場している。田中は三年連続ショートで一番打者、伊東は昭和11年と12年は九番で13年は二番打者を務めている。昭和12年センバツ1回戦では浦和中学に27対0で勝っているが、この試合で田中幸男は8打数6安打を記録、伊東甚吉はチームでただ一人無安打の4打数ノーヒットであった。昭和13年センバツ1回戦では日大三中に延長13回の末サヨナラ勝ち、田中幸男は7打数2安打で伊東甚吉は6打数2安打であった。2回戦の浪華商業戦は延長11回8対8の引分けで田中は6打数2安打、伊東は5打数2安打と活躍。再試合は8対9で敗れたが田中は6打数2安打、伊東は4打数3安打の活躍であった。阪急入団時は鳴物入りだった訳である。
田中幸男(田中成豪)の経歴についてはWikipediaを始めとして多くのサイトで「関西大学を経て阪急に入団した」と書かれていますがこれは間違いです。昭和13年のセンバツに出場して上記の活躍を見せた田中幸男と伊東甚吉は共に昭和14年に阪急に入団していますので関西大学に通っているヒマはありません。東京の選手の多くは兵役延長を求めて日本大学に籍を置いていました。関西の選手も同様に関西大学に籍を置いていたのかもしれません。それが誤って「関西大学を経て」となりネット上で広まってしまったようです。
*森弘太郎は名古屋打線を3安打に抑えて今季6度目の完封、14勝目をあげる。
*滝川中学時代からの盟友、伊東甚吉と田中幸男が名前を連ねる阪急打線。
*昭和12年センバツ出場メンバー。
*昭和13年センバツ出場メンバー(いずれも毎日新聞社発行「選抜高等学校野球大会 50年史」より)。
上の写真のとおり伊東甚吉と田中幸男は昭和11年~13年のセンバツに三年連続出場しており14年にシーズン始めから阪急に入団していますので、田中幸男が「関西大学を経て阪急に入団」するのは不可能です。
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