1994年に鈴木一朗がイチローに改名して200本安打を達成し“イチローブーム”を巻き起こしていた頃、競馬界ではサクラチトセオーが1着と6着を繰り返して「競馬界のイチロー」と呼ばれていました。そのサクラチトセオー号の訃報が伝えられています。
何故勝ったり負けたりを繰り返すのかは、その脚質にありました。後方からの鋭い差し脚を武器とするチトセオーは、決まれば勝つ、不発に終われば負けるとはっきりしていた訳です。
唯一のG1勝利となった1995年秋の天皇賞は2着ジェニュインとの馬連一点買いで仕留めました。1番枠から後方二番手に下げて小島太騎手が四コーナーで大外に持ち出し、いつものように内に刺さりながら前を行く14頭をごぼう抜きにしました。前年の秋の天皇賞では内を突いて前をカットされて6着に敗れたことから、コースロスを承知で大外に回したことが勝因となりました。内に刺さる癖のあるチトセオーは、四コーナーでは大外でしたが、ゴール前では先行して内から抜け出してきたジェニュインと並んでいます。
その功績は同期のウイニングチケットと共に父トニービンの名を天下に轟かせたことにあります。現在でも「トニービン=東京コースに強い」の方程式は成り立っていますね。ウイニングチケットは昨年のダービーでは東京競馬場にやって来て元気な姿を見せています。
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