昭和16年夏季シリーズの後半戦は15年と同様満州遠征が予定されていましたが中止となりました。
昭和16年7月21日付け読売新聞は「満州戦中止」の見出しと共に「全球団は満州国へ渡り第二回満州リーグを行う予定であったがこの程変更となって従来通り東京、大阪に於て挙行されることになり・・・」と伝えている。
昭和15年の満州リーグ終了時点では16年も満州で日本プロ野球が行われることは既定路線であった。その後、日本サイドの職業野球聯盟と主催者である満州日々新聞の間で収益の取り分について一悶着あったようだ。
「野球界」昭和16年7月1日号(印刷納本は約1か月前のことになりますのでこの号に記載される事項は6月頃のことと考えていいと思います。)は、「ギャランティの問題で一時暗礁に乗上げていた大リーグ(日本のプロ野球のことです=筆者注)の満州遠征は、この程、聯盟と主催者側との了解成って、いよいよ昨夏同様夏季戦の後半を満州で行うこととなった。7月26日から8月20日、奉天、大連、新京で行うこととなった。」と伝えている。
「野球界」昭和16年8月1日号(7月8日印刷納本)でも「7月25日奉天で開幕、8月20日奉天で終わり2回総当たり56試合を行う。」、同8月15日号(7月23日印刷納本)でも「夏季後半戦は昨年通り満州で行われる。」と伝えている。
ところが、満州遠征中止後、「野球界」には中止の経緯を含めて満州遠征については一切触れられなくなる。大和球士著「真説日本野球史」には「夏の甲子園大会、都市対抗大会の中止の原因になった『関東軍特別大演習』略して関特演のため中止となってしまった。」と書かれていますが、もちろんこれが書かれたのは戦後のことです。昭和16年7月の時点では「軍人機密」扱いとして満州遠征中止に触れることはタブーであったのでしょう。
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