2011年3月20日日曜日

ちょっとそのボール見せてください

 バッキー・ハリスの「“ちょっとそのボール見せてください”伝説」については色々な形で語り継がれているが、その真実に迫ったものはこれまで無かったと思う。本日は大胆にもその真実に迫ろうという企画です。本件に関しては物的証拠が皆無であり、全て伝聞に基づく風説が数多くの媒体によって広く流布されているものと認められる。しかしながら、バッキー・ハリスが塁上からピッチャーに「ちょっとそのボール見せてください」と声をかけ、ピッチャーがハリスにボールを投げるや否や脱兎のごとく次の塁めがけて走り去って行ったという事実(以下「本件事実」という。)が存在することだけは間違いない。

 本件事実は、実際にスコアブックにはどのように記載されているのであろうか。これまでの検証結果から、本件事実と認定できるプレーは以下のとおり二つ判明している。

①昭和12年7月13日 金鯱vsイーグルス7回戦 4回裏
 この回先頭のハリスが四球で出塁し、サム高橋吉雄の三ゴロが二塁に送球されるがセカンド五味芳夫がエラーして無死一二塁、杉田屋守が送って太田健一三振、野村実四球で二死満塁となった。ハリスは三塁ランナー、金鯱のピッチャーは古谷倉之助である。
 スコアブックの記録は「1'-5」であり、ピッチャー古谷が三塁に悪送球した際にハリスがホームに生還したと記録されている。

②昭和13年9月10日 イーグルスvs阪急1回戦 3回表
 一死後寺内一隆、野村実が連続内野安打、中根之三振、ハリス四球で二死満塁となった。ハリスは一塁ランナー、阪急のピッチャーは森弘太郎である。
 スコアブックの記録は「1'-3」であり、ピッチャー森が一塁に悪送球した際にハリスが二塁に進み、三走寺内はホームに生還、二走野村は三塁に進んだと記録されている。

 次に、上記2件に関する読売新聞の記事は以下のとおりである。

①については「古谷は何と思ったか塁手のいない三塁に牽制球を投げてハリスに與え(与え=筆者注)なくともよい1点を献じた」

②については「二死満塁にハリスのトリックプレーで1点を加えた」


 ネット上の風説に「最初にひっかかったのは阪急にいた森弘太郎投手だそうだ」というものがあるがこれが間違いであることは上記のとおりである。森弘太郎が引っ掛かった事実は存在するが最初ではない。この点、当ブログが参考にさせていただいている「商売人と言われた職業野球」様の森弘太郎の欄には「バッキー・ハリスの「ソノぼーるヲミセテクダサイ」のトリックプレーに引っかかった事がある」と記述されたおり、流石の見識である。但し、②が森弘太郎が引っ掛かった2回目であれば森が最初の可能性もあるが2度引っ掛かるほど馬鹿ではないであろう。

 もうひとつの手掛かりは大和球士著「真説日本野球史」昭和篇その3に書かれている記述である。引用すると長すぎるので要約すると「(ハリスが本件事実をたびたび行っているとしたうえで)昭和12年10月15日 タイガースvsイーグルス6回戦の6回裏、ピッチャー西村幸生がハリスのトリックプレーを察知し、先にタイムをかけておいて三塁ランナーのハリスにボールを投げ、ハリスはホームに走ったがタイムがかかっていたのでハリスは三塁に戻された。ハリスは大いに恥をかいてこの後このトリックプレーをやめた。」

 6回裏の経緯は、一死後ハリスが二塁打、高橋四球、小島利男左飛、杉田屋左前打で二死満塁、三塁ランナーハリス、ピッチャー西村という場面での出来事である。

 このシーンを読売新聞は「ハリスの二塁打をキッカケに二死満塁の好機となった時、西村がタイムを叫びながら無人の三塁に球を転がしてハリス本塁を陥れタ軍ベンチの抗議で結局ハリスを三塁に戻したがこの□タイムの宣告を行わず一旦得点を認めながらタ軍の抗議を容れてこれを取消したのは正当を欠く判定というべきであろう。」としている。

 公式にはタイム中のノープレーと判定されているのでスコアブックには何も記載されていない。大和球士は都新聞の記者であり、読売とは見解が異なっている。



 ハリスはいつからこのプレーを見せていたのであろうか。昭和11年の名古屋時代からであれば当ブログでは検証のしようがない。①は時期的には昭和12年春季リーグ戦の終盤であり、読売の記事からもまだ一般には浸透していなかったことが窺える。大和球士の文献から昭和12年秋季リーグ戦中盤には一部には知れ渡っていたと推測できる。西村に見破られたので一旦は止めていたが約1年経ってほとぼりも冷めてきたと判断して②を行ったとも推測できる。読売の記事から、この時点ではハリスのトリックプレーであることは一般に知れ渡っていたのであろう。


 以上の経緯から、本日の結論としては、「バッキー・ハリスが本件事実をやり出したのは昭和12年の再来日以降のことで、最初のうちは古谷倉之助を始め何人かが引っ掛かっていたが、昭和12年秋季リーグ戦中盤には知れ渡ってきて西村幸生の件もありしばらく止めていたところ、約1年たってほとぼりが冷めてきた頃を見計らってやってみたら森弘太郎が引っ掛かった。」としておく。

 ②については満塁時の一塁ランナーでやったところが応用が利いていてミソであろう。三塁ランナーの時は警戒されるが、前にランナーが詰まっている局面であれば警戒心も薄らぐと考えたのではないだろうか。だとすればハリスの前にランナーとなる可能性のある寺内一隆や野村実、中根之とも事前に示し合わせていたと推測され、ハリスの個人的犯行からチームぐるみの組織的犯行へと発展していたと見てよいのではないか。


 本件については今後も真相究明に努める所存でいます。




             *①の個人的犯行

 


             *②の組織的犯行

2 件のコメント:

  1. 森井茂が引っかかったと野球界で見ました。

    返信削除
    返信
    1. 二度は引っ掛からなかったと思いますが、誰でも一度だけ経験していたようです(笑)。

      削除