昭和13年春季リーグ戦の最高殊勲選手は苅田久徳に決定した。
昭和13年7月17日付け読売新聞は、苅田の自伝「天才内野手の誕生」の表紙に使われているのと同じ写真を掲載して「“最高殊勲選手”は苅田」と伝えている。このシーズンの最終戦は7月17日に行われており、同日付で新聞発表されたということは7月16日に決定したということである。と言うことはバッキー・ハリスの最終戦の2本塁打と景浦将の苅田と並ぶ第5号ホームランは考慮されないまま苅田のMVPが決まったわけである。
実際、同日付読売新聞は「職業野球春の大リーグ戦はけふ(今日=筆者注)幕を閉じるが恒例の最高殊勲選手は・・・・セネタースの監督兼選手苅田久徳二塁手を満場一致推薦・・・」と伝えている。
ここまで読んで「?」と思った方はかなりの苅田通です。苅田は自伝にこの時のいきさつをかなり詳しく書いていますが、7月16日に決まったとすると明らかに矛盾する記述となっており、苅田の記憶違いと考えられます。これはすなわち苅田はゴーストライターなどを使わず全て自分の記憶を頼りに書いていたことの証左でもあります。同著は時系列に怪しい部分もありますが、苅田の生の感情がぶつけられており、数ある自伝書の中でも秀逸の作品であると言えます。
苅田は今季134打数40安打7盗塁5本塁打、打率2割9分9厘、出塁率4割1分3厘 、長打率4割9分3厘、OPS0.905 でした。私が苅田が昭和13年春にMVPをとったことを知ったのは中学時代ですが、以来40年、打率が高くなくてベストテンの9位であることから守備が評価されただけで本当の価値があったのか疑問に思い続けていました。それが今回、OPSを算出してみて40年間の疑問が吹き飛びました。
苅田の今季のOPS0.905は全選手中No1です。以下、伊藤健太郎0.890、バッキー・ハリス0.873、桝嘉一0.860、景浦将0.848、千葉茂0.841、中島治康0.822と続きます。打率の低さだけで苅田を評価していた自らの浅はかさを反省する今日この頃です。
未だOPSという概念の無かった当時の選考委員 二出川延明審判、広瀬謙三公式記録員、新聞記者は秋山、友田(同盟)・金子(國民)・安藤(都)・水野(名古屋)・宇野、三宅(読売)各氏の慧眼に敬意を表します。
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