9月13日 (火) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 2 0 0 0 0 0 0 4 セネタース 3勝5敗 0.375 浅岡三郎 塩田猪年男 金子裕
0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 南海 3勝4敗1分 0.429 鈴木芳太郎 宮口美吉
勝利投手 金子裕 2勝3敗
敗戦投手 鈴木芳太郎 0勝3敗
二塁打 (金)尾茂田 (南)吉川
本塁打 (セ)苅田 1号
金子裕が好リリーフ
セネタースは初回、先頭の森口次郎が四球で出塁、今岡謙次郎の三ゴロで森口は二進、苅田久徳は二飛に倒れるが尾茂田叶が左中間に二塁打を放ち1点を先制、遠藤忠二郎が中前タイムリーで続き2-0とする。
セネタースは3回、この回先頭の森口が左翼線にヒット、二盗を決めて今岡が送り一死三塁と追加点のチャンス、南海はここでレフトを栗生信夫から高野百介に交代、苅田の当りは高野の頭上を越えるツーランホームランとなって4-2、確かに代わったところにボールは飛んだ。更に尾茂田中前打、遠藤左前打と続き南海先発鈴木芳太郎をKO、二番手に宮口美吉が登場して後続を抑える。
南海は3回裏、先頭の納家米吉が四球、吉川義次が左翼線に二塁打を放って無死二三塁、セネタースは先発の浅岡三郎をあきらめて二番手に塩田猪年男を投入する。しかし平井猪三郎が左前にタイムリーを放って1-4とするとセネタースは早くも塩田から三番手金子裕にスイッチ、小林悟楼の遊ゴロの間に吉川が還って2-4とする。
4回以降は金子裕、宮口美吉両左腕投手による投げ合いが続きセネタース4対2で押し切った。宮口美吉は6回3分の2を1安打無四球6三振の好投、一方金子裕は7回をこちらも1安打3四球1三振の好投を見せる。
金子裕は昭和11年、明治中学の3年先輩に当たる古谷倉之助共に金鯱に入団、12年にセネタースに移り野口明の影に隠れていたが野口明が兵役で抜けて今年は浅岡三郎と共に左右のエースに成長した。来年は明の弟・野口二郎が入ってくるのでちょうど野口兄弟の谷間のエースということになる。明治中学とプロ入りの間には鎌倉老童軍に在籍している。
鎌倉老童軍は1934(昭和9)年の第8回都市対抗に出場した強豪倶楽部チームである。この時金子が出場していたかどうかは当ブログの調査能力では不明。同軍は久米正雄や鞍馬天狗でお馴染みの大佛次郎等の鎌倉文士連中が作った倶楽部チーム。ワシン坂の上にある「港の見える丘公園」には大佛次郎記念館があります。大佛次郎の兄貴が天文学者の野尻抱影で、その妻はクラーク博士の「ボーイズ・ビー・アンビシャス」を世に広めた大島正健の娘であり、大島は甲府中学(現・山梨県立甲府第一高等学校)の校長を務めており、大島の赴任時に日本人初のプロ野球選手「ジャップ・ミカド」候補の一人とも言われる三神吾朗が在学していた。現在当ブログで活躍中の金鯱の内野手・五味芳夫も甲府中学出身である。
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