政野岩夫の鹿児島実業ネタから少し脱線させていただきます。
甲子園史上最高の名勝負とも言われる昭和49年第56回大会準々決勝第4試合、鹿児島実業vs東海大相模の試合は延長15回、鹿実が相模を5対4で振り切って準決勝に進出しました。8回からナイターとなったこの試合はNHK本放送の中継が途中で天気予報と7時のニュースのため中断し、抗議が殺到したことから翌年から教育テレビでも中継を行うようになるきっかけともなった試合でした。
延長12回のシーンはリアルタイムのテレビで見ていたと記憶しています。ニュースが終わって放送が再開されたからなのか、後のスポーツニュース等で見たシーンと記憶が混在しているのか定かではありませんが、球史に残る大ファインプレーはスローモーションのように瞼にこびりついています。
相模のバッターの打球は二塁後方へのハーフライナーとなりました。鹿実のセカンド中村孝選手が打球を追いジャンプ、ゆっくりと後方に身を投げ出し、(ここからはスローモーションを見ているようでした)空中でいったん止まり、打球がグローブに収まり、地面にドスンと落ちたのです。
アサヒグラフでも大きく写真入りで紹介されているこのプレーを覚えている方は多いと思います。私も甲子園のファインプレーと言えば真っ先にこのプレーが思い浮かびます。八番セカンド中村孝選手の名はこのプレーで歴史に残ることとなりましたが、打撃でもこの試合では7打席5打数3安打2四球を記録しています。ボールが良く見えていたのでしょう。
この試合を完投した定岡は翌日の準決勝でホームに滑り込んだ際に右手首を負傷し、二年生の堂園投手にマウンドを譲ることとなります。この堂園の兄貴が鹿児島県高校野球史上最高のピッチャーとも言われる鹿児島商業の堂園喜義であり、同期の定岡は打倒堂園を目標にして研鑚に励んでいた訳です。この試合の結末はよく知られているように、二塁牽制がセンターに抜け、センターがこれを後逸して防府商業が決勝に進出したものです。試合終了後、泣きじゃくるセンターの肩を抱いて定岡がベンチまで戻ってきたシーンから定岡フィーバーが始まる訳です(引退後の定岡からは想像もつきませんが)。
鹿児島商業の堂園喜義は広島にドラフト1位(この時の3位指名が城西高校で投手として甲子園に出場した高橋慶彦です)で入団しましたが、一軍で登板することなく引退することとなります。今でも私の中では、甲子園史上最高のアンダーハンドであると思っています。
*甲子園史上最高のアンダーハンド堂園喜義のサイン
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