昨年と比べると選手全体のレベルが上がってきており、一方的な試合が少なくなり好ゲームが増えてきた。
優勝したタイガースは「海内無双」と言われた強さには若干陰りが見えてきた。若林忠志が肩の故障で温泉療養に徹して不出場となった投手陣では御園生崇男が相変わらずの安定味を見せたが所詮は西村の二番手であり、西村幸生は二シーズン連続防御率一位であったが、昨秋1.15であったWHIPが1.37に悪化しており安定味に欠けていた。7月20日付け読売新聞でも「総評」を掲載しており「西村は今春案外不成績に終わったが・・・昨秋に比べ直球のスピードを増した結果従来の曲球主義から直球主義に代えたところが結局不成功に終わったのである・・(宇野庄治)」と論評している。宇野庄治記者は旧制三高で野球とラグビー、京都大学時代はラグビーの名選手でありこの時35歳と油が乗り切っている時期、最高殊勲選手選定委員でもある。今季の西村の見立ては当ブログと同様のようである。
投手陣を補ったのが藤村富美男の成長であった。二番に定着してセカンド、後半は内野の控えが成長してきたことからライトに回った。32得点は堂々の第一位である。三番山口政信は打率こそ2割9分9厘であったが出塁率が4割6分4厘で第二位。この二人が居たので四番景浦将が120打数34安打2割8分3厘ながら31打点でダントツ一位の打点王となった。皆川定之が成長してショート岡田宗芳のポジションを脅かし、本堂保次、奈良友夫がセカンドを争い藤村富美男がライトに入って昨秋の打点王藤井勇が控えに弾き出されるという状況であった。
二位ジャイアンツは澤村栄治が兵役で抜けた穴を数字的にはスタルヒンが埋めたが未だ精神的弱さが顔を出す場面があり、肝心なところで取りこぼしがある。
中島治康は首位打者となったが好打が目立つだけで主砲としては物足りなかった。伊藤健太郎は終盤三原脩が復帰して千葉茂がレフトに回ったため出番が少なくなったがOPS0.890は苅田に次いで第二位であった。
花の13年組では千葉茂が抜群の働きを見せた。三塁打7本は第一位。ライトへの打球がよく伸びていることを物語っている。打率は2割9分5厘ながら出塁率3割9分9厘、長打率4割4分3厘とバランスが良く、OPS0.841は第六位である。吉原正喜はシーズン当初スタルヒンの剛球が捕球できずスタルヒンの登板試合ではスタメンを外されたが、体中をアザだらけにする猛特訓の末スタルヒンの投球を捕球できるようになりレギュラーの座を固め、打率も2割6分5厘と及第点であった。
三位阪急には突出したエースは不在であるが石田光彦と森弘太郎が5勝、宮武三郎と小田野柏が3勝、浅野勝三郎と重松通雄が2勝で、常に誰かが好調でその時々にエースの働きをしていた。
山下実は監督業が中心となり、終盤は四番にジミー堀尾文人が定着、三番黒田健吾の活躍が目に付いた。ジミーと共にフランク山田伝、上田藤夫、キヨ野上清光の日系二世カルテットが渋い働きを見せた。
四位イーグルスは畑福俊英が不出場。どうやら畑福はイーグルスをクビになっていた模様で、昭和13年8月26日付け読売新聞は「畑福復帰」の見出しと共に「一旦イーグルスを退社中の畑福投手の復帰はじめ・・八選手の登録を承認した」「畑福 俊英 投(元イ軍)26(歳=筆者注)」と伝えている。「元イ軍」とはクビになっていたと想定され、であれば恐らく酒の上で問題を起こして謹慎させられていたのではないか。
亀田忠のピッチングは春季リーグ戦のハイライトと言っても過言ではなく、三試合連続(間に1イニング投げた試合を挟む)を含む四試合で1安打完投勝利(うち二つは完封)は圧巻であった。沢村賞があれば亀田忠が受賞することとなる。中河美芳は序盤戦しか投げなかったが、下手投げの古川正男の巧投が目に付いた。
バッキー・ハリスの強打、中根之の巧打、漆原進のいぶし銀が目に付いた。中河美芳は昨秋のセンセーショナルな活躍ほどではなかったが、読売新聞の記事からすでに守備の名手として注目されていることが確認できたことは収穫であった。ルーキー山田潔がショートに定着した。打撃は今一であるがイーグルスの弱点であったショートの守備が安定したことが大きかった。
五位セネタースを引っ張った苅田久徳が最高殊勲選手に輝いた。OPS0.905は第一位であった。但し打戦は八球団最弱かもしれない。
浅岡三郎がエースとして安定したピッチングを見せた。金子裕も昨年のノーコン病から一転して絶妙のコントロールを見せたが終盤は昨年の状態に後戻りした。
六位金鯱では四番小林茂太の勝負強いバッティングが印象的であった。小林茂太は140打数40安打2割8分2厘ながら25打点は景浦将に次いで中島治康と並ぶ二位である。景浦、中島という球史に名を残す大打者とそん色のない、或いは実質的にはそれ以上の打点を稼いでいたことはほとんど知られていない。
江口行男が14個で盗塁王、五味芳夫が13個で第二位と上位を独占した。九番の佐々木常助も8個で第五位である。レギュラーキャッチャー松元三彦の怪我の間は岡田源三郎監督がマスクを被り打撃でも大活躍、ホームスチールも記録した。
中山正嘉は古谷倉之助からエースの座を奪った。まだ伸びる余地は十分あると思われる。マー君も口で「開幕投手だー」と言う前に、実績で岩隈を上回ってから開幕投手を務めるべきであろう。
七位名古屋では中島治康と最後まで首位打者を争った桝嘉一が3割3分で第二位、石田政良が3割2分4厘でハリスを6毛凌いで第三位であった。
松尾幸造はエースの座につくかと思われたが伸び悩んだ。素質は第一級のものがあるだけに今後が楽しみな素材である。16歳の西沢道夫も使える目途が立ってきただけに上位を狙える可能性はある。
八位ライオンは大友一明が四番に定着、桜井七之助も中軸を打つなどピッチャー兼任の打者に頼っている。ショート中野隆雄の守備を何とかしないと上位は狙えない。
菊矢吉男がエースの働きを見せたが近藤久の出遅れが痛かった。終盤は近藤久が見事なピッチングを見せただけに惜しまれる。
昭和13年秋季リーグ戦は8月27日に開幕します。いよいよ南海が加わり九球団によるリーグ戦となります。南海は今春すでにチームを編成していますが公式戦の出場はお預けとなっていました。リーグ戦と並行して数多くのオープン戦を行っていますのでまごつくことは無いでしょう。
3月5日から秋季リーグ戦の模様を実況中継させていただきます。
はじめまして。私は日本プロ野球私的統計研究会の管理人をしている者です。
返信削除資料不足故にweb上ではあまり触れられなかった1リーグ時代のプロ野球が
1試合毎に詳細に再現されている貴ブログ様を最初に拝見した時は感動しました。
野球に対する造詣の深さと愛情の深さを文章の端々にちりばめながら
コンスタントに更新し続けておられるshokuyakyu様には尊敬の念を禁じえません。
まだまだ先は長いですがお体に気をつけて頑張ってください。
私のサイトでも1リーグ時代のプロ野球がどのようなものであったかを
ポジションや打順など選手個人のデータで表そうとしましたが、
ただ数字を羅列しただけのような感じが否めず
さらにその数字にも食い違いもあって今のところ手詰まり状態です。
そこでひとつお伺いしたい事があります。私は福室正之助氏の名前と同時に
職業野球公式戦スコアブックの存在をここで初めて知ったのですが、
福室氏が製本したこのスコアブックはやはり他からでは手に入れることのできない
いわゆる一点ものなのでしょうか。
お答えいただければ幸いです。
コメントありがとうございます。
返信削除こちらこそ、貴サイトはいつも参考にさせていただいております。緻密な分析には感服させられております。
ご質問の件ですが、詳しいことは分かりませんがあるとしたらコミッショナー事務局くらいではないかと思います。
出版物として出版されたものではないと思います。
原データについて調べたいことがある場合はご質問いただければ可能な限り調べてみます。
さて、いよいよ望月が本格的に出場し始めた1938年秋シーズンの実況が始まりますね。子供のころに戻ったようにワクワク
返信削除した気持ちです。
今シーズンは合計180試合となります。6月末までに終了する予定です。
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