2011年3月7日月曜日

13年秋 タイガースvsセネタース 1回戦

8月29日 (月) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
2 0 8 0 0 1 0 0 0 11 タイガース 1勝0敗 1.000 青木正一
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0  セネタース 0勝2敗 0.500 村沢秀雄 浅岡三郎 金子裕 伊藤次郎


勝利投手 青木正一 1勝0敗
敗戦投手 村沢秀雄 1勝1敗


二塁打 (タ)伊賀上、景浦、青木、本堂、松木
本塁打 (タ)門前 1号


タイガース、11人連続出塁


 タイガースは初回、一死後藤村富美男が右前打で出塁、山口政信四球、景浦将中飛、松木謙治郎四球で二死満塁、伊賀上良平が左越えに二塁打を放って2点を先制する。

 タイガースは3回、この回先頭の藤村富美男が右翼線ヒットで出塁、山口四球、景浦が左翼線に二塁打を放ってまず1点。セネタースは先発村沢秀雄から浅岡三郎に交代、松木謙治郎の右前タイムリーで2点、伊賀上良平四球で無死満塁、門前真佐人が右翼スタンドにグランドスラムを叩き込んで6点、青木正一が右中間に二塁打、岡田宗芳左前打で無死一二塁、ピッチャーは浅岡三郎から金子裕に交代、トップに返り本堂保次四球で無死満塁、藤村の右前打で2点を追加してこの回8点をあげて10-0、続く山口が三打席連続となる四球を選んで再度無死満塁、セネタースは金子から四番手伊藤次郎に交代、景浦二飛、松木二飛、伊賀上中飛でチェンジ。タイガースは二番藤村から打者一巡して三番山口まで11人連続出塁、内訳は門前の満塁ホームランを含む安打7本と四球4個であった。

 タイガースは6回、この回先頭の門前が四球で出塁、青木の右前打で無死一三塁、岡田の左犠飛で11-0とする。伊藤次郎は9回まで投げ抜きこの1点だけに抑える。


 セネタースは四番綿貫惣司が兵役で抜けて弱体打線が更に弱くなっている。ここまでのところ応召による打撃を最も受けている。

 タイガース打線は藤村富美男、松木謙治郎、岡田宗芳の三人が3安打で猛打賞、門前が4打点(当たり前ですが)二番から九番までが全員得点を記録する。

 青木正一は6安打3四球3三振で堂々のプロ入り初完封勝利をあげる。大量点に守られたとはいえ依然若林忠志が投げられないタイガース投手陣には朗報である。青木は桐生中学時代、昭和11年センバツ準優勝時のエースで四番、今日は出ていないが皆川定之が2年下のチームメイトであった。


 桐生中学は当然のことながら現桐生高校、校訓は「文武両道」です。1978年センバツには木暮、阿久沢を擁してベスト4まで勝ち進み、準決勝で優勝した浜松商業に敗れました。木暮は早稲田に進み神宮で活躍、阿久沢は群馬大学で準硬式に転じました。因みに阿久沢は「史上最高のスラッガーの一人」とも言われ一説では王貞治と比べられています。群馬大学とは我校のグラウンドで練習試合(関東の何かの大会だったかもしれません)をやったことがあります。初めて見たのは外野をランニングしている時でしたが、身体つきが違うので一目で「あれが阿久沢か」と分かりました。この試合では大した活躍はしませんでしたが、Wikipediaによると打率は6割だったそうです。まあ史上最高のスラッガーが準硬に転じれば6割くらいあたりまえでしょうが。因みに私の四年間の通算打率は200打数37安打1割8分5厘でした。木暮、阿久沢はプロに進んでいませんので呼び捨ては失礼ですが、二学年下ということでご容赦ください。

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