2015年7月12日日曜日

野口二郎の31試合連続ヒット



 西武の秋山翔吾が31試合連続ヒットを達成して野口二郎の記録に並びました。この快挙を記念して、昭和21年に野口二郎が記録した31試合連続ヒットを検証してみます。


 野口二郎の記録は達成当時認識されておらず、後に調べ直して判明したことで知られています。その理由について、「Wikipedia」には「これは野口が野手ではなく、投手だったために試合出場が飛び飛びであった事が理由で見落とされ」と書かれています。これが全くの事実誤認であることから話を進めていきましょう。


 野口二郎は8月29日~10月26日に阪急が戦った全31試合に出場して連続ヒット記録を達成しています。この時点で「試合出場が飛び飛びであった」は事実誤認であることが分かります。これはスコアカードから検証しなくても、「日本プロ野球私的統計研究会」の「スタメンアーカイブ」を見ていただくだけでも分かることです。1946年のこの時期、野口二郎は阪急の四番又は三番として全試合に先発出場しています。守備位置は主にライトでピッチャーもやっており、1試合だけ試合途中でファーストに入っています。


 この間、ピッチャーとしての先発は7試合で、リリーフでも6試合に登板しており、82回3分の2を投げて82安打20四球12三振30失点、自責点24。ピッチャーとしては戦前よりも衰えていることが分かります。


 打撃の方ですが、131打数48安打、打率3割6分6厘。20得点15打点、二塁打3本、三塁打3本。4四球しか記録していませんので積極的に打っていっていることが分かります。更に4盗塁も記録しており、足の方は衰えていないようです。


 何故、「試合出場が飛び飛びであった」などと誤って伝わったしまったのか。投手を兼任しているのは事実ですが、31試合全てに四番、又は三番で出場していますので気が付かないとは考えられません。当時は、「連続試合ヒット」が意識されていなかったことが見つからなかった理由でしょう。「試合出場が飛び飛びであった」などという事実誤認は、後付の言い訳に過ぎません。


 10月27日の32試合目は巨人の藤本英雄に抑え込まれて3打数無安打に終わったことはよく知らていますが、記録が始まる前については全く知られていませんので本邦初公開といきましょう。記録が始まる直前の8月26日はパシフィックとの11回戦、阪急打線は井筒研一に4安打完封されており、野口二郎は3打数無安打。第一打席は中飛、第二打席は捕飛、第三打席は三振、9回に第四打席が回ってくるチャンスがありましたが、一死一塁で三番吉田昇が二ゴロ併殺に倒れて試合終了、ここで四番野口二郎に回っていれば32試合連続ヒットになっていたかもしれません。その前の試合も3打数3安打でしたから、33試合連続ヒットの可能性も考えられます。


 

4 件のコメント:

  1. なぜ誤って伝わってしまったか。
    これは、宇佐美徹也氏の「プロ野球データブック最新版」あたりを間違って解釈した、もしくは再確認してない人の仕業かと思います。
    文面が似てますが、そうは書いてないんですけどね。

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  2. いずれししろ、昭和21年当時は「連続試合安打」という概念がなかったのではないでしょうか。
    ディマジオの56試合連続ヒットは昭和16年ですが、日本の野球記事でも昭和14年頃まではアメリカ野球の記事が溢れていましたが、16年には日米関係の悪化からアメリカ野球の話はタブーになっており、「日本野球の確立」がスローガンになってしまいます。鈴木惣太郎はディマジオの記録くらい知っていたと思いますが、昭和16年当時にはそれを記事にできる状況になく、昭和21年には意識されていなかったことが見逃された原因ではないでしょうか。記録に気付かなかったのではなく「連続試合ヒット」の概念がなかったことが原因のような気がします。

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    1. プロ野球データブック最新版には、「見逃されてたのは、野口二郎が投手であったこと、試合日程が飛び飛びであったことが原因でないかと思われる」というように書かれてます。
      いかにも文面が似てるので、ウィキペディアの間違いとしては、これからかと思われます。
      昭和23年発行、広瀬謙三著の「日本野球十二年史」には、中島治康が連続試合安打記録を持っているように書かれてますが、これも後から調べたのかもしれませんね。
      背番号への愛着、旧いバージョンでは、竹中半平氏が「山下好一が21試合連続試合安打打ってるというの本当だろうか」と、山下実や宮武三郎の慶大先輩より地味なイメージの山下好の記録を怪しんでます。

      話は変わりますが、読売新聞は、大きい図書館だと、パソコンでDVDかCDのROMで閲覧できて、プリントできる所も有るかと思います。
      宮城県図書館では可能です。
      「苅田久徳」とかいう風に、ネット風に検索もできます。

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    2. 中島治康は昭和13年秋に5試合連続本塁打を記録していますが、固め打ちもあればさっぱりの日もあるという波の荒い打者なので連続試合安打は少ないのではないでしょうか。全盛期の13年秋でも5試合連続本塁打の時に8試合連続ヒットを記録しているのが最高です。但し、この8試合中、4安打が2回、2安打が2回で22安打を記録しているところが中島らしい。

      山下好一はあり得そうですね。昭和24年までの実況中継が終了したら記録編に移行しますので、戦前の連続試合安打記録は判明すると思います。

      読売新聞縮刷版のCD-ROMは私も図書館で利用しています。

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