専修大学松戸高等学校が劇的な逆転劇で習志野を降し、初の甲子園を決めました。
試合開始1時間前にマリンに着きましたが既に大行列、「世紀の一戦」と言われた昭和51年の伝説の決勝戦、「前年全国優勝の習志野vs前々年全国優勝の銚子商業」以来となる千葉県高校野球史に残る決戦です。
海浜幕張までの京葉線では専大松戸の生徒と一緒になりました。マリンに向かう道では習志野の応援団に遭遇しました。決戦に向けて、気分が高まってきます。
マリンで夏の高校野球を観戦するのは二階席に限ります。本日は都心でも35度を記録する猛暑、マリンの二階席は日陰になります。場内アナウンスでも「熱中症に注意」を何度も呼びかけていました。運よく二階席上段のネット裏ほぼ正面の席をゲットすることができました。
前半戦は習志野伝統の「引きつけて叩くバッティング」が炸裂します。昭和50年の夏の甲子園決勝で優勝を決めるサヨナラ打となった下山田の右前打も同じ打ち方でした。習志野の攻撃を後押しするのが「日本一」と言われる応援団です。全国コンクール金賞の常連である吹奏楽部は216人のメンバーで構成されており、オリジナルの応援歌「レッツゴー習志野」がマリンに響き渡ります。前回甲子園出場時に、「相手がタイムを掛けると大音量を流して邪魔をする」などという謂れのない批判があったことから、相手チームがタイムをかけるとピタリと演奏を辞めるのも新たな伝統となっています。このマナーは他校にも伝播しており、千葉県高校野球界では今や常識となっています。
7回表の習志野の攻撃で3点目が入り3対0、ところが一死二三塁からバッターが空振りの場面で三塁ランナーが飛び出しておりキャッチャーからサードに渡ってツーアウト、二塁ランナーが三塁に向かうがサードからベースカバーのショートに送られてタッチアウト、ダブルプレーでスリーアウトチェンジとなりました。スクイズのサインを打者が見逃したのか、三塁ランナーが勘違いしたのか、二塁ランナーはタイムリー二塁打を放った一年生の四番・吉野でした。スタートが遅れたのが響いてダブルプレー、これもいい経験でしょう。NHK中継の解説の国際武道大学監督・岩井さんも「嫌な終わり方ですね」と指摘していました。
7回裏専松の攻撃、一死二三塁の場面で八番の寺元(てらもと)は外角球をライト方面にファウルを重ねます。徐々にフェアグラウンドに近づいてきてタイミングが合ってきました。「次は内角にくる」と見ていましたが、その内角球に反応してレフトにファウルしたのを見て「これなら行ける」と直感しました。次の外角スクリュー気味のチェンジアップを見逃し、直後の内角球をショートオーバーの2点タイムリー、ここがこの試合の「功名が辻」でしたね。
送りバントで二死二塁としてトップに返り昨年の四番・渡邉が右越えに同点三塁打、ここまで習志野は11安打ですが専大松戸はこれで5安打目でした。死球と四球で二死満塁、今年の四番・原の当りはセンターへのライナー、センターは長打を警戒して深めの守備から突っ込んできましたがハーフバウンドになってしまい後逸、ノータッチでしたので満塁ランニングホームランとなって7対3の大逆転、歴史が塗り替わった瞬間でした。
専松最大の功労者は背番号10の二番手投手、左腕の角谷(かどや)。スピードはないがコーナーを丹念に突いて習志野の強力打線を抑えてきました。最終回は、先発してライトに下がった殊勲の逆転打を放った原の再登板も考えられました。8回の専松の攻撃中にはピッチング練習もしていましたし。しかし持丸監督は角谷を続投させます。この場面で温情を見せているようでは、4校も甲子園に連れていけるはずがありませんね(笑)。
NHKの中継は同時刻に西東京決勝があったのでこの試合は1時からの録画放送。千葉県決勝のNHK解説はお馴染の国際武道大学監督・岩井さん。岩井は昭和48年の甲子園で江川の作新学院を破った銚子商業の六番ファーストでした。
松戸からは初めての甲子園です。市川からは剛腕平沼を擁して1982年に商大付属がセンバツに出場しています。筆者の実家から商大付属までは歩いて5分、専大松戸は北に6キロに位置します。
*決戦の場。
*マリンに向かう習志野応援団。
*試合開始の整列。
*校歌斉唱の場面。
*優勝旗授与。
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