2015年7月16日木曜日

貴重な発見?



 「杉下茂」の活字が初めて掲載されたのではないかと考えられる新聞記事を発見しましたのでご報告させていただきます。


 昭和17年8月11日付け読売新聞3面に「全国中等野球関東予選 南、北 決勝戦」の記事が掲載されています。「北」の決勝戦は水戸商業が桐生中学を4対0で破っていますがこちらの試合は得点経過が掲載されているだけです。一方、「南」の予選決勝は京王商業が帝京商業に7対6で逆転サヨナラ勝ち、こちらは得点経過と共に両チームのメンバー表が掲載されており、9回裏に4点を取られて敗れた帝京商業の五番・ファーストに「杉下」の名が認められます。杉下茂の経歴から見ても、この「杉下」が「杉下茂」であることは間違いのないところでしょう。


 ご存知のとおり夏の甲子園大会は昭和15年を最後に戦局の逼迫から中止されました。昭和16年は予選だけが行われたところで打切り、昭和17年は文部省と学徒体育振興会の主催で「全国中等学校体育大会野球大会」が8月23日から甲子園球場で行われます。いわゆる「幻の甲子園」として徳島商業が優勝したことで知られており、京王商業は1回戦で徳島商業に延長14回サヨナラで敗れ去りました。「関東北」の代表水戸商業は1回戦で滝川中学を9対3で降しますが、2回戦で徳島商業に1対0で破れています。


 当ブログは、スコアカードの解読と共に、当時の読売新聞を参考にさせていただいております。当時の読売新聞のスクラップのコピーは野球殿堂博物館の図書館に行けば誰でも閲覧することができます。以前は書棚にありましたが、現在は職員に頼めば閲覧可能となっています。「鈴木龍二寄贈」となっていますが、このスクラップは河野安通志によるもので、河野の死後、鈴木龍二が遺族の生活のために買い取ったものを野球体育博物館(現・野球殿堂博物館)に寄贈したものです。


 昭和17年の「幻の甲子園」は2010年にNHKで放送されたりして近年クローズアップされてきています。「関東南」予選で9回表まで6対3でリードしていた帝京商業が出場していたら、「杉下茂が全国デビューした試合」として、もっと早く世に知られていたことでしょう。




*野球殿堂博物館の図書室でコピーさせていただいた昭和17年8月11日付け読売新聞。問題があるようでしたら削除させていただきます。






*敗れた帝京商業の五番ファーストが「杉下」。「杉下茂」が初めて活字になった瞬間ではないでしょうか。








 

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