2014年12月29日月曜日

17年 朝日vs黒鷲 5回戦


5月15日 (金) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 朝日 11勝16敗1分 0.407 渡辺時信 林安夫
1 0 0 0 0 0 0 0 X 1 黒鷲  6勝20敗2分 0.231 石原繁三

勝利投手 石原繁三 5勝8敗
敗戦投手 渡辺時信 0勝2敗

勝利打点 鈴木秀雄 1


鈴木秀雄、決勝タイムリー

 朝日は渡辺時信がプロ入り2度目の先発。

 その渡辺時信が初回、先頭の渡辺絢吾に四球を出すと奇才・竹内愛一監督は早くも二番手として林安夫を投入、木村孝平が送って一死二塁、鈴木秀雄が中前に先制タイムリーを放って黒鷲が1点を先制する。自責点は渡辺時信に記録され、これが決勝点となって敗戦投手は一人に四球を出して降板した渡辺時信に記録される。

 朝日二番手の林安夫はその後黒鷲打線を3安打無失点に抑えたが味方の援護が得られなかった。

 黒鷲先発の石原繁三は初回、二死後鬼頭政一にワンスリーからファウルで4球粘られ四球、しかし伊勢川真澄を右飛に打ち取る。2回、先頭の内藤幸三に中前打を許し、室脇正信にも左前打を打たれて無死一二塁、ここで広田修三の投前送りバントにダッシュよく飛び出し二走内藤を三塁に刺す。このプレーで波に乗った石原は続く景浦賢一に代わる代打早川平一を三振、林を遊飛に打ち取る。3回から5回は三人ずつで切り抜けるパーフェクトピッチング。6回一死後五味芳夫に内野安打を許すが後続を抑え、7回二死後広田を四球で歩かせるが岩田次男を左飛に打ち取る。

 石原は8回、坪内道則に中前打を打たれ二盗を許して一死二塁と一打同点のピンチを迎えるが、落ち着いて五味を三振、鬼頭を右飛に打ち取りこの回も無失点。9回も三者凡退に退けた。

 石原繁三は4安打2四球3三振で今季2度目の完封、5勝目をあげる。


 2度目の先発となった渡辺時信は1四球を出して降板、5月6日の名古屋戦で初登板した時も先頭から4連続四球(4人目の飯塚誠のカウントツーボールの時)で降板していますので、現時点でプロ入り通算2試合に登板して投球回数3分の0回、与四球5個、防御率算定不能の無限大、0勝2敗の成績です。渡辺の名誉のために付言しておきますと、山口商時代に昭和15年夏の山口県大会準決勝の防府商業戦で13奪三振を記録してノーヒットノーランをやっています。この時は与四球3個でした。山口商が「山口高等商業学校」のことであるかは今のところ不明ですが、1905年に設立された山口高等商業学校なら超名門校であることは言うまでもありません。


 初回に決勝の先制タイムリーを放って勝利打点を記録した鈴木秀雄は昭和11年名古屋入団の古い経歴を持つ。榛原中学(現・静岡県立榛原高等学校)から全静岡を経て昭和11年に名古屋入団と紹介されるのが一般的ですが、「野球界」昭和15年10月号に掲載されている「選手総展望」には「名古屋養成」と紹介されています。「養成選手」と言えば西沢道夫が有名ですが、鈴木秀雄も養成選手であった可能性があります。但し、この「選手総展望」には上野義秋が「左利き」と誤って紹介されているので全面的には信用できません。上野義秋は1度だけですがキャッチャーで出場したことがあり、本当に「左利き」であればプロ野球史上唯一の「左のキャッチャー」になりますが、他の資料では全て「右利き」となっています。

 因みに榛原(はいばら=筆者注)高校と言えば政・官・財界や文化・学術分野に数多の人材を送り込んでいる名門校で、2012年には第1回「科学の甲子園」に静岡県代表として出場しています。プロ野球選手のOBは鈴木秀雄と90年代に広島で中継ぎとして活躍した片瀬清利(聖敏)だけのようです。







*石原繁三は朝日打線を4安打に抑えて今季2度目の完封、5勝目をあげる。




















 

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