2013年5月5日日曜日

二千話球題



 当ブログも開設以来2,000回目を迎えました。


 家の前の私道から車2台がすれ違えないような通りを渡ってすぐのところに空き地があり、そこで野球をやっている時だけが幸せな時間でした。千葉県市川市国分近辺では鳴らしたものです。ドッジボールは野球以上に得意だったので、小学校下級生の時から上級生に交じってやっていました。親から「あの子とは絶対付き合っちゃダメ」と言われていた不良のお兄さんと私が野球の腕では双壁でした。ほぼ毎日一緒に野球をやっていて随分かわいがられていたものです。学校の帰りに駄菓子屋に寄ってラムネを飲むという不良行為初体験もそのお兄さんに教えてもらいました。担任にバレて級長のバッジを返上させられたこともあります(笑)。


 国分の地名は下総国分寺からきているもので、その空き地は国分尼寺の発掘現場となりました。ある日突然発掘隊がやってきて立ち入り禁止となりましたが、野球少年転じて発掘隊のお手伝い役に転向しました。ロープをくぐって近付いて行っても文句を言うような発掘隊員はいませんでした。ネットで調べてみると「昭和42年に行われた発掘調査では東西25.5m、南北22.4mの金堂基壇と、東西27m、南北19mの講堂基壇が確認されています。」とのことです。小学校3年生時代の大事件でした。発掘作業が終わって、元野球場はガタガタの状態となりましたが、近所のガキ共が総出で石ころを片づけて再び野球漬けの日々がやってきました。


 千葉県の野球少年にとっては、近所の草野球以上に銚子商業と習志野高校の応援が重要な儀式でした。木樽と阿天坊で銚子商業が甲子園で準優勝したのは小学校1年の時です。「阿天坊」の名前は一世を風靡しました。「早撃ちマック」と呼ばれた牽制球の名手・石井と強打の池田で習志野高校が甲子園で1回目の優勝をしたのが小学校3年の時です。甲子園には出たものの全国的には無名だった掛布も、甲子園には出られなかったため全国的には無名だった鈴木孝政も、千葉県予選の時からよく知っていました。小見川高校の黒須清志投手については今では千葉の人でも殆ど知らないかもしれませんが、千葉県高校野球史上鈴木孝政に次ぐピッチャーであったことも良く知っています。昭和48年に日米親善高校野球大会が行われてハワイ選抜チームと千葉県選抜チームが対戦しましたが、三番・掛布(習志野、後に阪神)、四番・古屋(木更津中央、後に日ハム)で先発投手が黒須でした。


 昭和45年、小学校6年生の時に起きた黒い霧事件はエポックメイキングとなりました。みんなで西鉄ライオンズを苛めているので、「じゃあ俺が西鉄ファンになってやろうじゃね~か」と立ち上がった訳です。この年のオールスターゲームには西鉄からはルーキーの三輪悟だけが選出されました。第一戦から三輪が出てくるのを待っていましたが出番はなく、第三戦のテレビ中継も終了してラジオに切り替えて聞いていました。選出された選手は一度は出場しなければならないというルールを知っていたので何で出てこないんだろうと思っていたところ、第三戦の最終回に三輪が1イニングだけ登板しました。西鉄の選手が置かれている立場を考えざるを得ませんでした。


 東尾のピッチングを初めて見たのは昭和46年春のオープン戦の巨人戦のことです。関東では西鉄戦のテレビ中継など公式戦ではありませんでした。綺麗すぎるフォームで、「これでプロで通用するのかな~」というのが第一印象でした。東尾が名投手になっていく過程はつぶさに見てきました。太平洋クラブライオンズ時代、東尾がオールスターに出てきて解説者が「貫録がありますね」とコメントした時は、遂にここまで来たかと感慨深かったものです。


 中学は市川から千代田区に通っていましたので野球をやる機会はなくなりましたが、定期が水道橋まであったので後楽園球場に東映vs西鉄戦を見に行くことが重要なミッションとなりました。観客は3,000人程度ではなかったでしょうか。ショート梅田の声が球場中に鳴り響いていました。そうこうするうちに後楽園球場の隣に野球体育博物館(現・野球殿堂博物館、本日も行ってきました)があることに気付き、通うこととなりました。神保町のすずらん通りにある書泉グランデの地下1階にベースボール・マガジン社のコーナーがありました。ほぼ毎日学校帰りに立ち寄っていました。ここで「プロ野球三国志」、「日本野球創世記」、「タイ・カップ自伝」等を購入したことが日米野球史研究の道に迷い込むきっかけとなったのです。


 昭和48年、西鉄ライオンズが消滅して太平洋クラブライオンズに生まれ変わりました。春先からビュフォード旋風が吹き荒れ、大変な騒ぎとなりました。後楽園球場に見に行きましたが、閑古鳥が鳴いていた三塁側スタンドは応援団まで繰り出して超満員でした。中学3年になっていよいよ受験シーズンとなりました。流石に呑気な私でも受験勉強に本腰を入れることとなり、太平洋クラブライオンズの試合は一試合しか見ていません・・・(三千話球題に続く)。



 閑話休題、2,001話から実況中継に戻ります。






 

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