10月26日 (土) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 2 0 0 0 0 1 0 3 ライオン 23勝62敗4分 0.271 近藤久 福士勇
0 0 0 0 0 0 0 2 0 2 名古屋 48勝35敗5分 0.578 河村章 村松幸雄
勝利投手 近藤久 8勝18敗
敗戦投手 河村章 2勝3敗
セーブ 福士勇 2
二塁打 (ラ)灰山、坪内 (名)西沢
勝利打点 坪内道則 2
坪内道則、決勝二塁打
ライオンは2回、一死後灰山元章が右中間に二塁打を放つが後続なく、この回は無得点。
ライオンは3回、先頭の広田修三が四球で出塁、近藤久が一塁に内野安打、トップに返り坪内道則が左翼線に先制の2点タイムリー二塁打を放って2-0とする。
名古屋は3回まで三者凡退。4回、一死後芳賀直一が中前打、桝嘉一の遊ゴロの間に芳賀は二進、大沢清の遊ゴロをショート前田諭治がお手玉するが三塁ベースをオーバーランした芳賀を前田が刺してスリーアウトチェンジ。
名古屋は5回、先頭の吉田猪佐喜の二ゴロをセカンド玉腰年男が一塁に悪送球、中村三郎が中前打を放って無死一二塁、しかし二走吉田がキャッチャー広田からの牽制球に二三塁間に挟まれて憤死、二死後岩本章が四球を選んで一二塁とするが河村章は遊ゴロに倒れる。6回、7回と先頭打者が出塁するが後続なく無得点が続く。
中盤は立ち直った河村に抑えられてきたライオンは8回、先頭の玉腰が四球を選んで出塁、野村高義の二ゴロをセカンド中村がエラー、鬼頭数雄の遊ゴロで野村が二封されて一死一三塁、戸川信夫の遊ゴロで三走玉腰が突っ込むがショート村瀬一三からのバックホームにタッチアウト、鬼頭政一は三邪飛を打ち上げて万事休すかと見えたがサード芳賀が落球、命拾いした鬼頭(弟)は四球を選んで二死満塁、前田が左前にタイムリーを放ち貴重な追加点をあげて3-0とする。
名古屋は8回裏、先頭の岩本が四球を選んで出塁、河村に代わる代打西沢道夫が左中間にタイムリー二塁打を放って1-3、ライオンベンチは好投を続けてきた近藤を下げて福士勇をリリーフに送る。トップに返り村瀬が四球を選んで無死一二塁、芳賀の一塁線送りバントをファースト玉腰が失して犠打エラーが記録され無死満塁、桝の左犠飛で2-3、大沢が四球を選んで一死満塁、しかし吉田のショートライナーに二走芳賀が飛び出しショート前田が二塁ベースを踏んでダブルプレー。
福士は最終回の名古屋の反撃を三者凡退に抑えてライオンが逃げ切る。
この試合で先制二塁打を放ち勝利打点をあげた坪内道則と、この試合で代打に登場して二塁打を放った西沢道夫は戦後師弟関係を結ぶこととなる。坪内は自伝「風雪の中の野球半生記」の中で「西沢道夫との思い出は、私の野球人生のかなりの部分を占める。」とした上で、西沢をゴールドスターに引っ張った経緯について書いている。戦争で肩を痛めて復帰した中部日本ではベンチを温めることが多かった西沢を見て「『よし、西沢をもらって、打者で使ってみよう』と頭にひらめくものがあった。西沢は、投手とはいえ、常々、そのセンター返しのバッティングのうまさに私は非凡なものを感じていた。」、「西沢に、打者へ変わることを前提にした移籍の意思があるかどうか聞いてもらった。5日後に届いた返事は『バットマンとして、第二の人生に挑戦してみる』だった。まだ25歳。」
戦後、ゴールドスターの監督兼任選手となる坪内の脳裏には、この試合で見せた西沢のバッティングもインプットされていたのでしょう。
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