2013年5月13日月曜日

15年 巨人vs阪急 12回戦


10月13日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 3 0 0 2 0 1  6 巨人 62勝25敗 0.713 澤村栄治 須田博
0 4 0 0 0 0 0 0 1  5 阪急 50勝31敗5分 0.617 石田光彦 森弘太郎

勝利投手 須田博     32勝11敗
敗戦投手 森弘太郎 23勝11敗

二塁打 (巨)中島治康 (急)山田、新富
三塁打 (巨)川上

勝利打点 白石敏男 6


互角の勝負

 両軍7安打7四球と互角。結果は6対5で巨人の勝ち。両軍の明暗を分けたのは何だったのでしょうか。


 巨人は初回、一死後水原茂が四球で出塁するが、川上哲治の二ゴロが「4-6-3」と渡ってダブルプレー。

 阪急は1回裏、一死後フランク山田伝がセンター右にヒットを放つが二盗に失敗、新富卯三郎が四球を選んで今度は二盗に成功、しかし四番レフト浅野勝三郎は三振に倒れる。

 巨人は2回、中島治康、白石敏男が連続四球、しかし吉原正喜の投ゴロで中島は三封、平山菊二の投ゴロが「1-5-3」(「1-6-3」ではありません)と渡って2イニング連続ダブルプレー。

 阪急は2回裏、一死後上田藤夫が四球で出塁、日比野武が左前打、下村豊が四球を選んで無死満塁、石田光彦は二飛に倒れて一死満塁、トップに返り中島喬が押出し四球を選んで1点を先制、巨人ベンチはここで先発の澤村栄治をあきらめて須田博をマウンドに送る。しかし須田はウォーミングアップ不足であったのか山田が右中間に走者一掃の二塁打を放って4-0と突き放す。

 巨人は4回、二死後白石敏男が右翼線にヒット、吉原、平山が連続四球で二死満塁、林清一の遊ゴロをショート下村がお手玉する間に三走白石が還って1-4、須田が右前に2点タイムリーを放って3-4と追い詰める。トップに返り呉波は四球、阪急ベンチはここで先発の石田から森弘太郎にスイッチ、水原は右飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 巨人は7回、先頭の水原が三塁に内野安打、川上は三振に倒れるが、中島治康が右越えに同点のタイムリー二塁打を放って4-4、白石が右前に逆転タイムリーを放って5-4とする。

 巨人は9回、先頭の水原の中飛をセンター山田がエラー、川上が中越えに三塁打を放って6-4とリードを広げる。

 阪急は9回裏、先頭の日比野武に代わる代打井野川利春が死球を受けて代走に田中幸男を起用、下村に代わる代打西村正夫の遊ゴロでランナーが入れ替わり西村は二盗に成功、更にキャッチャー吉原の悪送球が加わって一死三塁、森に代わる代打山下好一は三振に倒れるが、トップに返り中島喬がセンター右にタイムリーを放って5-6、しかし最後は山田が三振に倒れて巨人が接戦を制す。


 阪急2回の攻撃、初回に二盗に失敗したフランク山田伝は須田博の代わりばなを捕えて満塁走者一掃の二塁打を放った。しかし須田が奮起して第三打席から山田を3打席連続三振に切って取った。結局のところ、互角の接戦を制したのは須田博の意地だったのである。


 巨人先発の澤村栄治は2回に突然乱れたがこれはマラリアの影響でしょう。澤村が度々マラリアの発作に襲われていたことは各種文献で確認できる。昭和13年に澤村が1回目の出征で赴いたのは中国戦線であった。澤村がマラリアに罹患したのは昭和16年に二度目の出征となった南方戦線の事であった可能性もあるが、中国戦線でもマラリアに罹患することがあると言われている。当ブログの調査によると、「野球界」昭和15年8月号に掲載されている「澤村投手のこと」というコラムに「戦地で享けたマラリヤが彼の身心を頗る阻害していることは、親しく当人の語るところであって・・・」という記述が見られる。更に決定的なのは、「野球界」昭和15年9月号に澤村の手記が掲載されており「第一線の軍務から戻ってすぐ投手板に立つのは不可能なことですが、僕はその上マラリヤにやられたので弱っています。どうにも治りきりません。」と書かれている。本日の突然の乱れは中国戦線で罹患したマラリアの影響によるものであると考えられます。






               *澤村-須田のリレーは珍しい。須田博は32勝目をあげた。













      *接戦を制した巨人打線。
















     *中島喬が2打点、フランク山田伝が3打点を記録した阪急打線。













 

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