6月22日 (土) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ライオン 12勝30敗1分 0.286 菊矢吉男
1 0 0 0 0 0 2 1 X 4 タイガース 24勝17敗2分 0.585 木下勇
勝利投手 木下勇 9勝7敗
敗戦投手 菊矢吉男 6勝11敗
二塁打 (ラ)広田 (タ)伊賀上、本堂
勝利打点 カイザー田中義雄 4
木下勇5安打完封
タイガースは初回、先頭の松木謙治郎が四球で出塁、皆川定之が一二塁間を抜いて無死一三塁、本堂保次は浅い左飛に倒れるが、カイザー田中義雄の遊ゴロの間に松木が還って1点を先制する。
2回~5回まで菊矢吉男に無安打に抑えられてきたタイガースは6回、先頭の木下勇が左前打、トップに返り松木も左前打で続き、皆川が送って一死二三塁、しかし本堂は捕邪飛、田中は二飛に倒れてチャンスを潰す。
タイガースは7回、先頭の伊賀上良平が左翼線に二塁打、中田金一が左前にタイムリーを放って2-0、宮崎剛の二ゴロをセカンド前田諭治が失して無死一三塁、森国五郎に代わる代打ジミー堀尾文人が左前にタイムリーを放って3-0とする。
タイガースは8回、先頭の皆川が三塁に内野安打、本堂の左中間二塁打がタイムリーとなって4-0と突き放して勝負を決める。
木下勇は5安打3四球4三振で今季3度目の完封、9勝目をあげて若林忠志と並びチームの勝ち頭となった。翌日の読売新聞は「タ軍木下は絶好の制球力を以て得意のシュートボールを打者の低目内外角を自在に衝き・・・」と伝えている。「内外角を自在に衝き」ということなのでシュートと言うよりシンカーピッチャーであったのかもしれない。
木下は米子中学(現・鳥取県立米子東高等学校)時代、1935年の甲子園に春夏連続出場している。エースは2年先輩の清水秀雄なので木下はまだ外野手であった。清水の剛速球を間近に見ていたことが下手投げ投手となる要因となったことは容易に想像できる。戦後は同じく米子中学出身で4年先輩となる岡本利之と共に、山陰高校野球界の指導者として名を残すこととなる。
6月22日に行われた4試合のうち、後楽園球場の第一試合を除く3試合は完封試合であった。いよいよボールの劣化が激しくなったきたようだ。
*木下勇は5安打完封で9勝目をあげる。
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