6月22日 (土) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 イーグルス 23勝19敗1分 0.548 亀田忠
2 0 0 0 0 0 0 1 X 3 ジャイアンツ 29勝14敗 0.674 泉田喜義 中尾輝三
勝利投手 泉田喜義 1勝0敗
敗戦投手 亀田忠 13勝10敗
セーブ 中尾輝三 1
二塁打 川上、中島
勝利打点 川上哲治 7
三振か四球
イーグルスはエースの亀田忠が先発、ジャイアンツは左腕の泉田喜義がプロ入り初先発となった。
イーグルスは初回、先頭の岡田福吉がストレートの四球、岡田が二盗を決めて岩垣二郎も四球を選び無死一二塁、長谷川重一の遊ゴロで岩垣は二封、亀田忠は投ゴロに倒れ中河美芳が四球を選んで二死満塁、しかし木下政文は右飛に倒れる。イーグルスとしてはここで泉田を崩しておきたかったところであるが泉田が何とか踏ん張った。
ジャイアンツは初回、先頭の白石敏男が四球で出塁、平山菊二が送って一死二塁、川上哲治の右翼線二塁打で1点を先制、中島治康も右翼線に二塁打を放って2-0とする。
初回のピンチを切り抜けた泉田は6回まで亀田の左前打1本に抑えて無失点。
イーグルスは7回、先頭の谷義夫が左前打で出塁、清家忠太郎の右前打で無死一三塁、山田潔の三ゴロで三走谷はストップ、一走清家は二進して一死二三塁、トップに返り岡田の三ゴロの間に谷が生還して1-3とする。岩垣が四球を選んで二死一三塁、しかし長谷川は左飛に倒れる。
ジャイアンツは8回から中尾輝三をリリーフに送り8回、9回を3四球無安打に抑えて泉田喜義がプロ入り初勝利をあげる。中尾には当ブログルールによりセーブが記録される。
亀田忠は2回以降ジャイアンツ打線を無安打に抑える。2回は先頭の千葉茂を三振、泉田に四球を与え、白石は三振、平山、川上は連続四球で二死満塁とするが中島を三球三振に仕留める。7回も先頭の白石を三振、平山にに四球、川上は三振、中島に四球、吉原正喜は三振。亀田は144球で8回を完投して2安打11四球10三振であった。「三振か四球」の亀田忠のピッチングの代表事例とも言える試合であった。
プロ入り初先発初勝利の泉田喜義は鎮西学院(現・鎮西学院高等学校)の出身。同校からプロ野球に進んだ選手は少ないが、西鉄、太平洋で活躍した菊川昭二郎が同校のOBです。筆者は黒い霧事件をきっかけに西鉄ファンとなり後楽園球場の東映vs西鉄戦に通っていましたので菊川のプレーは良く見ました。ショートのポジションを梅田邦三と争っていましたが守備では梅田、バッティングでは菊川が上でした。結局、73年の太平洋クラブ初年度はサード菊川、ショート梅田で落ち着きました。翌74年はビュフォードがレフトからサードにコンバートされて菊川の出番が少なくなり、75年には吉岡悟との交換トレードでロッテに移りました。このトレードでチャンスを掴んだ吉岡は翌76年に首位打者となります。
カルビー・ベースボールカードが本格的に発行されたのは1973年からです。当時12球団一の不人気球団であった太平洋クラブライオンズのカードは発行枚数が少なく、更に地域限定版はほとんど流通していません。皮肉なことに現在は太平洋クラブライオンズの地域限定版は価格が高騰を続けています。菊川昭二郎のカードは状態が良ければ10万円を超えてもおかしくはありません。アメリカ野球史上最高のショートとも言われるホーナス・ワグナーは嫌煙家で、タバコ会社から発行されている自身のベースボールカードの発行を辞めさせました。したがってホーナス・ワグナーのベースボールカードは発行量が少なく極めて希少性が高いため、リーマンショック以前のオークションでは当時のドル円レート換算で約2億8千万円で取引されたことがあります。
*泉田喜義はプロ入り初勝利。亀田忠は11四球10三振で“らしさ”を見せつける。
*菊川昭二郎とショートのポジション争いをしていた梅田邦三のサイン。当時のライオンズファンがサイン帳に残したものでかなり貴重です。
*74年にレフトからサードにコンバートされて菊川のトレードの原因となったドン・ビュフォードのサイン入りカード。ライオンズ60周年です。
*菊川との交換トレードで太平洋クラブライオンズにやってきた吉岡悟のサインカード。吉岡はこのトレードでチャンスを掴み76年には3割8厘の低打率ながら首位打者となりました。更に平和台球場のウグイス嬢と結婚しました。貴重なライオンズ・メモリアルの25枚限定縦バージョンです。
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