6月22日 (土) 西宮
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海 12勝29敗2分 0.293 木村勉 天川清三郎
0 0 3 0 0 0 0 0 X 3 阪急 22勝16敗3分 0.579 石田光彦
勝利投手 石田光彦 6勝7敗
敗戦投手 木村勉 0勝1敗
勝利打点 フランク山田伝 4
石田光彦2安打完封
南海はプロ入り初先発となる木村勉が先発、阪急は石田光彦が先発する。
阪急は3回、先頭の石田が四球で出塁、トップに返り西村正夫も四球を選んで無死一二塁、フランク山田伝が中前に先制タイムリーを放って1-0、西村、山田がダブルスチールを決めて無死二三塁、浅野勝三郎が四球を選んで無死満塁、南海はここで先発の木村を下げて天川清三郎をマウンドに送る。上田藤夫の右犠飛で2-0、センター山尾年加寿からのバックホームをキャッチャー吉川義次が後逸する間に二走山田も還って3-0とする。南海は今度はキャッチャー吉川を下げてセカンドの国久松一がマスクを被り、ショートの上田良夫がセカンドに回り吉川に代わって前田貞行が入ってショート。天川は4回以降阪急打線を2安打無失点に抑える。
翌日の読売新聞によると3回の吉川義次の交代は「上田の中飛で西村本塁を衝き捕手吉川が飛び出して西村と衝突傾倒する間に山田も還って・・・」「南海がかけ替えのない捕手吉川の負傷退場は痛い」とのこと。吉川は翌23日のライオン戦を欠場することとなり国久松一が先発マスクを被るが29日の金鯱戦から四番キャッチャーとして復帰する。
石田光彦が快投を見せた。南海のヒットは初回の国久の三塁内野安打と2回の清水秀雄の中前打だけで、石田は3回~9回を1四球のみの無安打に抑え、結局2安打1四球5三振で今季初完封、6勝目をあげる。石田は波はあるがいい時は小気味の良いピッチングを見せる。
南海先発の木村勉は散々な出来であった。木村は投手としては通算5試合で0勝1敗、昭和14年に3試合に登板し、今季は本日が2度目の登板、すなわち本日がプロでの投手としては最後の登板となった。しかし木村は打者として大成することとなり戦後もグレートリング、大陽、松竹、大洋、広島、近鉄で昭和33年までプロ野球に在籍し、通算4233打数1118安打を記録することとなる。この記録には昭和22年に在籍した国民リーグの唐崎クラウンでの成績は含まれていない。通算本塁打は9本で、通算二塁打122本、通算盗塁171個なので、残された記録から推察すると駿足好打のシュアなバッティングが身上であったようだ。
昭和25年の松竹ロビンスは「水爆打線」と呼ばれる強力打線でセントラル・リーグの初年度を制覇する。松竹の一二番コンビは金山次郎、三村勲のコンビが有名で、小鶴誠、岩本義行、大岡虎雄の強力クリーンナップトリオにつなぐ訳ですが、昭和25年のシーズン前半は木村勉が一番レフトに入っている。シーズン後半はレフトに吉田和生(昭和15年は吉田猪佐喜として名古屋の主力打者で当ブログでも活躍中です)が入ることが多くなる。木村勉は松竹「水爆打線」の一員として、昭和25年には360打数105安打2割9分2厘をマークすることとなり、昭和31年5月9日には36人目となる通算1000試合出場を達成することとなる。
木村勉が打者として大成することとなった要因を二つあげるならば、一つは6月4日のジャイアンツ戦で復帰第一戦となった澤村栄治からプロ入り通算8打席目で初ヒットとなる右中間三塁打を放って自信と付けたこと、二つ目は本日の散々なピッチングで投手人生に見切りを付けたことがあげられるでしょう。
*石田光彦は2安打完封で6勝目をあげる。木村勉はこれがプロでの最後の登板となり、この後は打者としての道を歩むこととなる。
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