2012年11月4日日曜日

15年 南海vsライオン 6回戦



6月16日 (日) 西宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0 南海       11勝27敗2分 0.289 清水秀雄
0 1 0 0 0 0 0 0 X  1 ライオン 11勝28敗1分 0.282 近藤久

勝利投手 近藤久     1勝7敗
敗戦投手 清水秀雄 6勝10敗

勝利打点 前田諭治 1


近藤久、9回二死まで無安打無得点

 ライオンは2回、先頭の鬼頭数雄が左前打で出塁、戸川信夫の打席でキャッチャー吉川義次が打撃妨害、井筒研一の右飛で二者タッチアップから進塁して一死二三塁、伊勢川眞澄が四球を選んで二死満塁、前田諭治が押出し四球を選んで1点を先制、これがこの試合の決勝点となった。

 南海先発の清水秀雄はライオン打線を3安打に抑えたが10四球を与えて6奪三振であった。

 ライオン先発の近藤久は生涯最高のピッチングを見せた。立ち上がりの1回、岩出清、藤戸逸郎を連続三振に打ち取って波に乗った。国久松一に四球を与えるが吉川を遊飛に打ち取る。2回~4回は三者凡退。5回は二死後山尾年加寿に四球を与えるが前田貞行を三ゴロに打ち取る。6回、7回も三者凡退、8回一死後山尾に四球を与えるが前田を遊ゴロ、末崎隆行に代わる代打木村勉を二ゴロに打ち取りここまでノーヒットノーラン。

 近藤は9回、先頭の深尾文彦からこの日8個目の三振を奪い、藤戸に代わる代打上田良夫を三ゴロに打ち取り無安打無得点まであと一人、しかし国久に中前打を許して大記録を逃した。続く吉川を二ゴロに打ち取り1安打3四球8三振の完封で今季初勝利をあげる。


 昭和15年3月30日、菊矢吉男がジャイアンツ戦で9回二死まで無安打無得点ながら水原茂に右前打を許して1安打完封に終わったが、近藤の記録は菊矢以来プロ野球史上2度目のことで、戦前はこの2回だけのようです。

 近藤久は通算5回目の完封勝利となった。これまでの4試合の被安打数は昭和12年春4月19日のイーグルス戦が4本、13年春7月1日の阪急戦が6本、14年10月6日の南海戦が5本、同年10月21日のジャイアンツ戦が7本であった。


 近藤は通算33勝のうち、完封勝利を10回記録することとなる。通算完封数÷通算勝利数は3割3厘となるが、同時代の投手でこの数字を上回るのは高橋敏21勝11完封で5割2分4厘、林安夫52勝24完封で4割6分2厘、望月潤一10勝4完封で4割、浅野勝三郎23勝9完封で3割9分1厘、畑福俊英41勝16完封で3割9分、荒木政公9勝3完封で3割3分3厘、三輪八郎31勝10完封で3割2分7厘、亀田忠66勝21完封で3割1分8厘2毛、澤村栄治63勝20完封で3割1分7厘5毛、藤本英雄200勝63完封で3割1分5厘、松尾幸造49勝15完封で3割6厘などとなる。



 注)勝利数、完封数には日本プロ野球記録大全集にも日本プロ野球記録大百科にも間違いが認められており、特に日本プロ野球記録大百科はNPB・BISのデータに基づいていると考えられますが、NPB・BISを作成する際に入力間違いがあったのではないかと疑われる点もありますので、当ブログが所有する公式スコアブックの記載に基づいて修正しています。したがって、日本プロ野球記録大全集及び日本プロ野球記録大百科やインターネット検索で調べる数字と異なる場合がありますのでご注意ください。








                *近藤久は1安打完封で今季初勝利をあげる。
















     *近藤久に9回二死までノーヒットノーランに抑えられた南海打線。








 

2 件のコメント:

  1. 史上初の九回二死まで無安打無得点はイーグルスの亀田忠ではなくてライオン軍の菊矢吉男です。
    1940年3月30日ライオン軍対東京巨人軍2回戦(後楽園)でした。

    ちなみに亀田は単独で無安打有得点を記録した最初の投手です。

    http://eiji1917.blog62.fc2.com/

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    1. ご指摘の通り亀田ではなく菊矢吉男の間違いでした。訂正させていただきます。

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