公式記録では昭和14年のスタルヒンの勝利数は42勝です。当時の勝利投手の記録については現行ルールに照らすと勝利投手が記録されないケースが多数認められていることは、当ブログでこれまでもお伝えしてきたとおりです。
戦後になって、山内以九士氏等により戦前のスコアブックの見直し作業が行われた際、スタルヒンに記録されている勝利投手が中尾輝三に記録されるべき試合が2試合あることが判明し、スタルヒンの記録は40勝に訂正されました。野口二郎も昭和17年に40勝を記録しましたので、昭和36年までは最多勝記録は昭和14年のスタルヒンと昭和17年の野口二郎の40勝とされてきました。
昭和36年に稲尾和久がこの記録に迫ってきました。10月7日に40勝を記録した際にはスポーツ紙は「稲尾ついに40勝 プロ野球タイ記録」の大見出しと共に「“鉄腕”稲尾和久投手がついに40勝目を飾った。1939年故スタルヒン(巨人)、1942年野口二郎(大洋)のもつ日本記録とタイとなったわけである。」と偉業を伝えています。稲尾は翌10月8日に41勝目を記録し「輝く41勝新記録」と伝えられています。10月10日には42勝目を記録しました(下の写真参照)。
ところがこの日本新記録に“待った”が掛かり、コミッショナー裁定により「記録された当時の記録を尊重する」こととされ、スタルヒンの記録が42勝に再訂正されたため、2012年現在においてもシーズン最多勝利記録は昭和14年のスタルヒンと昭和36年の稲尾和久のものとなっています。
このたび当ブログのスコアブック解読作業において、昭和14年のスタルヒンの42勝には現行ルールに照らすと勝利投手が記録されない試合が「2試合」ではなく、「4試合」含まれていることが判明しました。
仮に見直し作業においてスタルヒンの記録が38勝に訂正されていたとしても野口二郎の40勝が残るので稲尾が40勝を日本記録として認識して目標にしていた状況は変わりません。39勝目をあげた10月1日のスポーツ紙には「40勝にこだわる気持ちはないが、勝てるときに勝っておきたい。こんなことはもうないだろうから・・・」という談話が掲載されています。
「日本プロ野球記録大全集」に掲載されているスコア表と投手記録欄を見比べてみるだけでも、5月9日の名古屋戦の9勝目、7月15日のセネタース戦の21勝目、9月23日のライオン戦の33勝目、10月7日の金鯱戦の36勝目が、現行ルールに照らすと勝利投手が中尾輝三、楠安夫に記録されることが確認できます。「日本プロ野球記録大全集」を持っている方は確認してみてください。持っていない場合は野球体育博物館の図書室で閲覧することができます。
なお、2010年3月24日付けブログ「解読」にも記載させていただいているとおり、当ブログではこれをもって記録の訂正を求めるようなことはいたしませんので念のため。
*当時の熱狂的西鉄ファンが残したスクラップブックより。昭和36年に稲尾が42勝を記録した時は日本記録は40勝とされていた。
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