2012年3月31日土曜日

ガスハウスギャング ⑤ 最終回


 前回スタン・ミュージアルを紹介しましたが、イチローと共に来日したマリナーズの二番打者ダスティン・アクリーは父のジョン・アクリーからスタン・ミュージアルの打撃フォームを叩き込まれたそうです。

 1940年代以降、セントルイス・カージナルスには20年周期で黄金時代が到来します。

 60年代はボブ・ギブソンで64年と67年のワールドシリーズを制します。ボブ・ギブソンは64年のワールドシリーズでは3試合に登板して27回を投げて23安打8四球31三振で2勝1敗、防御率3.00を記録しています。67年は3試合に登板して27回を投げて14安打5四球26三振で3勝0敗、防御率1.00を記録しています。68年のワールドシリーズもデトロイトタイガースとの対戦はカージナルス絶対有利の前評判でしたが伏兵ミッキー・ロリッチの投打に渡る活躍の前に3勝4敗で敗れました。ギブソンは3試合に登板して27回を投げて18安打4四球35三振で2勝1敗、防御率1.67を記録しています。第一戦では最後の30勝投手デニー・マクレインに投げ勝って4対0で完封し17奪三振のワールドシリーズ新記録を樹立しています。
 ワールドシリーズでは9試合に登板して7勝2敗、二桁奪三振を5回記録しています。因みに9試合で81イニングスを投げていますが全試合完投ではなく、64年の第二戦の投球回数は8回で1イニングだけリリーフを仰いでおり、64年の第五戦が延長10回を完投、残りは全て9回を完投しています。
 1968年には単独チームで日米野球に来日して一塁側に倒れ込む豪快な大リーグ式投法を日本でも披露しました。この時の様子は「巨人の星」にも描かれています。アームストロング・オズマが来日したのもこの時の設定となっています。

 80年代はホワイティ・ハーゾク監督の「ホワイティ・ボール」が大リーグを席捲しました。82年にオジー・スミスをサンンディエゴ・パドレスから引き抜いて物語は始まります。オジーと共にトム・ハー、ウィリー・マギー、ロニー・スミスが走りまくりました。日本でも赤ヘルの機動力野球が席捲していた時代です。82年のワールドシリーズ第四戦では三走ウィリー・マギー、二走オジー・スミスの場面でトム・ハーが中犠飛を放ちオジー・スミスも二塁から生還して2点犠飛を記録しています。この年はロビン・ヨーント、ポール・モリターの二人の3,000本打者を擁する強打のミルウォーキー・ブルワーズを破ってワールドチャンピオンに輝きました。
 85年はルーキーのビンス・コールマンが110盗塁を記録して新人王、MVPのウィリー・マギーが56個、アンディ・バンスライクが34個、オジー・スミスが31個、トム・ハーが31個と5人が30盗塁以上を記録します。しかしワールドシリーズではジョージ・ブレット率いるこちらもスピードを売り物とするカンザスシティ・ロイヤルズに敗れます。コールマンを二軍から引き上げるためにロイヤルズに放出したロニー・スミスはこのワールドシリーズで27打数9安打4得点4打点2盗塁と大活躍して古巣を見返しました。因みに筆者はウィリー・マギーと生年月日が同一です。

 2000年代がアルバート・プホルスの時代であったことは説明不要でしょう。06年と11年の二度ワールドチャンピオンに輝きましたが、私としては最強チームと考えていた2004年のワールドシリーズでボストン・レッドソックスにスイープされたのが不思議でなりません。

 
 と言うことで、次の黄金時代は2020年代となります。プホルスが去って黄金時代は終了しました。さて、プホルスがカージナルスを出ていけば見捨てると宣言させていただいておりましたが、方針を変更して2012年の三冠王獲得を予言すると共に、「三冠への道」を復活させていただきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿