2012年3月26日月曜日

14年 セネタースvs金鯱 10回戦


9月26日 (火) 後楽園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11  計
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0 セネタース 41勝29敗6分 0.586 苅田久徳 野口二郎
0 0 0 0 0 0 0 0 0  0   0   0 金鯱          28勝45敗3分 0.384 古谷倉之助


二塁打 (セ)柳


西部戦線異状なし


 翌日の読売新聞はこの試合を「押せども突けども動かばこそ西部戦線に於けるマジノ鉄塞に対するジークフリード要塞の如く蟻の這い出る隙もなき見事の守備に両者秘術を尽した大熱戦」と伝えている。「マジノ線に対するジークフリード線」としているところがドイツに傾注している世相を表しています。新聞による世論誘導であったのかもしれません。日独伊三国同盟が締結されるのは1年後のことです。

 セネタースの先発投手は苅田久徳監督で二番に入っている。鈴木惣太郎のインタビュー記事によると「野口を使い過ぎるなという投書が頻々(「しくしく」或は「ひんぴん」)と来るし、事実野口には少しでも余分に休養させなければならないので今日は僕が先発して大いに頑張る・・・自信ですか?勿論あります。」とのこと。苅田は6回3分の0を投げて3安打2四球1三振無失点。7回に先頭の野村高義に四球を与え小林茂太の一塁線送りバントが内野安打となって無死一二塁としたところでセカンドに回り、ファーストの野口二郎がマウンドに上った。野口は残る5イニングを3安打無四球4三振で無失点に抑え切った。

 一方、金鯱先発の古谷倉之助は11回を完投して4安打4四球4三振無失点。久々に「のらりくらり投法」の真髄を見せた。「元祖・のらりくらり投法」の下柳剛は2012年も楽天で活躍しそうな勢いです。下柳の投球は今でこそ「のらりくらり」としていますがダイエー時代は力のある球を投げていました。筆者が大阪に住んでいたのは1991年~93年です。当時のサンテレビは阪神戦と共にダイエー戦の中継も多く、とにかく下柳は「毎日投げていた」という印象しか残っていません。記録を振り返ってみると93年のことのようです。古谷倉之助も八王子実業団で投げていた若かりし頃は速球派だったのではないでしょうか。翌日の読売新聞は「一方に単身11回を完投した古谷の好投も十分に賞さねばならない。彼の鋭きドロップに遭ってセ軍は完全に打力を封じられ殆ど得点機さえも握れなかったのである。」と伝えている。


 マジノ線が構築されるきっかけとなった第一次世界大戦における膠着した塹壕戦を描いた傑作「西部戦線異状なし」は主人公が蝶に手を伸ばしたところを狙撃されるラストシーンに「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」の司令部報告が流されて戦争の虚しさを伝えている。大義の前では一兵卒の死など問題とはされない訳です。本日の試合は「0対0の引分け、報告すべき件なし」としか記録には残りませんが、苅田久徳、野口二郎、古谷倉之助が見せた投球こそが日本野球の礎となり今日に続いている訳です。それを伝えるのが当ブログの意義でしょう。




          *0対0の投げ合いとなった苅田、野口のリレーvs古谷倉之助。






 

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