2011年9月11日日曜日

14年 阪急vs南海 3回戦

5月6日 (土) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 1 1 0 0 2 阪急 16勝5敗         0.762 重松通雄 浅野勝三郎
0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 南海   6勝16敗1分 0.273 宮口美吉 平野正太郎


勝利投手 浅野勝三郎 2勝1敗
敗戦投手 宮口美吉    1勝5敗


二塁打 (南)伊藤
三塁打 (南)国久


阪急、無安打で勝利


 ダブルヘッダーの第二試合は阪急が重松通雄、南海は第一試合に完投した宮口美吉が連投で先発する。1時20分に終了した第一試合から22分を挟んで1時42分、金政卯一チーフアンパイアの右手が上がりプレイボール。

 南海は4回、一死後鶴岡一人の三ゴロをサード黒田健吾がエラー、中村金次は右飛に倒れるが鶴岡が二盗に成功して二死二塁、国久松一が右翼線に三塁打を放って1点を先制する。

 連投の宮口に5回まで無安打に抑えられていた阪急は6回、先頭の西村正夫が四球を選んで出塁、フランク山田伝の投前送りバントを宮口が失して無死一二塁、記録は犠打とエラー、上田藤夫が投前に送りバントを決めて一死二三塁、山下好一が死球を受けて一死満塁、黒田の左犠飛で西村が還って1-1の同点とする。レフトからのバックホームの隙を狙って二走山田はタッチアップから三塁を狙うが「7-2-5」と転送されてこれはタッチアウト。

 阪急は7回、先頭の岸本正治が四球を選んで出塁、南海ベンチはここで宮口をあきらめてリリーフに平野正太郎を送る。田中幸男は三塁前に送りバント、これをサード鶴岡が一塁に大暴投する間に一走岸本は二塁、三塁を蹴って一気にホームを駆け抜け無安打で2-1と逆転に成功する。

 南海は7回裏、二死後伊藤が左中間に二塁打、阪急ベンチはここで重松から二番手の浅野勝三郎にスイッチ、平野は左飛に倒れてスリーアウトチェンジ。

 阪急は8回、9回もノーヒット、結局無安打で6安打の南海を破ってこれで八連勝。


 試合経過からも分かるように、現行ルールでは重松通雄が勝利投手となるが公式記録では浅野勝三郎に勝利投手が記録される。

 阪急はこのところファーストには森弘太郎と岸本正治を併用していますが、これは山下実を名誉の応召で欠くためです。大和球史著「真説 日本野球史」によると、4月25日(同著では26日となっています(第1版第1刷)が25日の間違い)の金鯱2回戦開始直前に『全員起立、万歳三唱』の意外な風景が展開された。この試合を最後に召集されて軍隊入りする阪急の大打者山下実の壮途を祝うために、選手からスタンドの観衆まで全員が総立ちになって万歳を三唱したのであった。」とのことです。

 ところが、5月2日付け読売新聞は「阪急の山下即日帰郷」の見出しと共に「この程晴れの応召を受け勇躍○○に向かった阪急の主将山下実(慶應出)君は腰部疾患のため即日帰郷を命ぜられた。」と伝えている。「○○」は行先は軍事秘密ということでしょう。仮病を使う訳にはいかないでしょうから山下実が腰を痛めていたのは事実でしょう。甲子園球場でオーバーフェンスできる数少ないスラッガーの腰にかかる負担は相当なものなのでしょう。この当時、中国戦線は泥沼に向かっていますが太平洋戦争開戦の2年半前とあってまだ余裕があるようです。山下実は流石にすぐに復帰という訳にはいきませんが、6月頃から再登場します。






        *阪急はノーヒットで6安打の南海を破る。





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