5月6日 (土) 甲子園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 3 0 0 0 0 0 6 セネタース 8勝10敗 0.444 金子裕 野口二郎
0 0 0 0 0 2 0 3 2X 7 ライオン 10勝7敗3分 0.588 菊矢吉男 福士勇
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
3 0 0 3 0 0 0 0 0 6 セネタース 8勝10敗 0.444 金子裕 野口二郎
0 0 0 0 0 2 0 3 2X 7 ライオン 10勝7敗3分 0.588 菊矢吉男 福士勇
勝利投手 福士勇 3勝3敗
敗戦投手 金子裕 3勝5敗
二塁打 (セ)尾茂田2
ライオン逆襲
セネタースは初回、先頭の苅田久徳が左前打で出塁、パスボールと森口次郎死球で無死一二塁、尾茂田叶が左中間に二塁打を放って二者を迎え入れて2点を先制、四番ファースト野口二郎の一ゴロの間に尾茂田は三進、佐藤武夫の左犠飛で3-0とする。
セネタースは4回、二死後横沢七郎が左前打で出塁、苅田四球で二死一二塁、、森口の一塁内野安打で横沢が還って4-0、尾茂田が右翼線にタイムリー二塁打を放って5-0としてなお二死二三塁、野口の右前タイムリーで6-0とする。二走尾茂田もホームを狙うがライト水谷則一からのバックホームに刺されてタッチアウト。
セネタース先発の金子裕は5回までライオン打線を3安打無得点に抑えてセネタース楽勝ムードが漂う。
ライオンは5回から先発の菊矢吉男に代えて福士勇をマウンドに送る。福士はセネタース打線を1安打に抑える好投を見せて流れを引き寄せた。
ライオンは6回、一死後水谷則一が四球で出塁、鬼頭数雄が右前打、更に重盗を決めて一死二三塁、玉腰年男の二ゴロの間に水谷が還って1-6、福士が中前にタイムリーを放って2-6とする。
ライオンは8回、先頭の鬼頭数雄の捕前バントはアウトのタイミングながらファースト野口二郎がエラー、玉腰の一塁線バントが内野安打となって無死一二塁、福士の投ゴロで一走玉腰が二封されて一死一三塁、中野隆雄は三邪飛に倒れるが山本尚敏が左前にタイムリーを放って3-6としてなお二死一二塁、ここで岡本利之の二ゴロをセカンド苅田がなんとトンネル、苅田がトンネルするとは思っていなかったライト森口のカバーが遅れ、二走福士に続いて一走山本までがホームに還って5-6と1点差に詰め寄る。
ライオンは最終回、一死後水谷が四球で出塁、鬼頭がこの日4本目となる右前打を放って一死一二塁、玉腰年男の中前打で一死満塁、セネタースベンチはここで金子をあきらめてファーストの野口二郎をマウンドに送る。しかしウォームアップ不足の野口は福士に押出し四球を与えて遂に6-6の同点、中野の投前スクイズは1-2と渡ってフォースアウトとなり二死満塁、ここで山本がサヨナラ押出し四球を選んでライオンが7A対6で打っ棄る。
鬼頭数雄は全て右前打で5打数4安打、好リリーフの福士勇は打っても3打数2安打2打点の活躍で今季3勝目をあげる。
この試合で野口二郎はプロ入り初めて四番に起用された。野口二郎の自伝「私の昭和激動の日々」には「初めて四番を打ったのは、5月7日、甲子園の阪急の試合で、一塁手で出場、4の2打ったと記憶している。」と書かれている。明日の阪急戦でも野口は確かに四番ファーストに入って4打数2安打を記録していますが初の四番は5月6日のライオン戦のことです。鬼籍に入られた野口二郎氏に教えてあげたい。この記述からも分かるように野口二郎は自伝をほとんど自らの記憶に頼って書いています。同著が刊行されたのは1990年のことですから1920年生まれの野口が70歳の時となります。恐るべき記憶力です。苅田久徳とはえらい違いです。
*苅田の自伝は時系列がハチャメチャで当ブログも何度か振り回されてきたことはこれまでもお伝えしてきたとおりです。内容はとても面白いのですが。
*野口二郎はこの日プロ入り初の四番に起用される。こればかりは野口二郎の記憶違いであったようである。
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