5月9日 (火) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 0 0 0 4 0 5 ジャイアンツ 14勝7敗 0.667 中尾輝三 スタルヒン
0 0 0 3 0 0 0 0 0 3 名古屋 8勝14敗2分 0.364 中村三郎
勝利投手 スタルヒン 9勝4敗
敗戦投手 中村三郎 1勝1敗
二塁打 (ジ)白石、平山、吉原 (名)石田
平山菊二、起死回生の一打
ジャイアンツは初回、当っている白石敏男が左前打で出塁、水原茂の中前打で無死一二塁、この日三番に入った川上哲治の遊ゴロをショート芳賀直一が弾いたのを見て白石は三塁ベースを蹴ってホームに向かうがこれは芳賀からの送球にタッチアウトとなって一死一二塁、四番中島治康が左前にタイムリーを放って1点を先制する。
中尾輝三の前に3回まで1安打に抑えられていた名古屋は4回、先頭の村瀬一三がこの日2本目のヒットを右前に放って出塁、大沢清は右飛、加藤正二が中飛に倒れると村瀬が二盗に成功、三浦敏一の右前タイムリーで1-1の同点に追い付く。翌日の読売新聞によるとここは二走村瀬がスタートを切ってのエンドランであったとのこと。更に三浦も二盗に成功、鈴木秀雄が三塁線にヒットを放って二死一三塁、鈴木が二盗に成功、服部受弘が左前タイムリーを放って2-1と逆転してなお二死一三塁、更にここでダブルスチールを決めて3-1とする。
名古屋はこの回5盗塁を決める。左の中尾と強肩吉原のバッテリーでここまで走られるとは不思議であるが、読売新聞によると中尾は牽制球を全く投げず(というより不得意だったのかもしれない)、服部の次の「中村(三郎)打者のファウルフライ後初めて一塁に牽制を送っているが、投手の愚鈍は勿論、これに注意を与えなかった巨人軍ベンチの怠慢迂闊は大いに責任を問われるべきである。」と手厳しい。読売新聞による巨人に対するこういう歯切れのいい論評は、もちろん鈴木惣太郎の署名入り記事です。服部と鈴木秀雄による重盗はこの牽制球の返球の隙を突いて一走服部が二塁に走り、セカンド井上康弘にボールが渡ると三走鈴木がホームに突っ込んだもので、「鈴木は井上の返球の粗雑高投の下を潜って巧みに生還し」たものだったようです。
名古屋の先発は6日のジャイアンツ戦で完投勝利を飾った中村三郎が二匹目のドジョウを狙ってきたものであるが、鈴木惣太郎によると「中村はこの日も頗る怜悧のピッチングを示して巨人軍の打者をよく抑え・・・正に“巨人軍殺し”の綽名をさえ奪わんとしたものであるが・・・」とのこと。
しかしジャイアンツは8回、水原の三ゴロをサード大沢がエラー、川上がピッチャー強襲ヒット、中島は捕邪飛に倒れるが千葉茂が四球を選んで一死満塁、ここで6回にリベラの代打に出てレフトに入っている平山菊二が右翼線に起死回生の二塁打を放って二者を迎え入れて3-3の同点、井上に代わる代打楠安夫は三振に倒れて二死二三塁、吉原正喜が左翼線に決勝の二塁打を放って5-3と逆転する。
中尾を7回まで引っ張ってきたジャイアンツは8回からスタルヒンを投入、スタルヒンは8回、9回を無安打に抑えてジャイアンツが辛くも勝利を収める。
平山菊二の一打によってジャイアンツは甦った。この試合を落とすとズルズル行って第一期黄金時代のスタートはもう少しずれ込んでいたかもしれない。当ブログでしか知りえない話をひとつ。この日はリベラがセンター、千葉がレフトで先発、6回に平山がリベラの代打に出ると平山がレフトに入って千葉はセンターに回る。8回の平山の同点打の後セカンドの井上に代打楠が起用されると8回裏の守備から呉波がセンターに入って千葉がセカンドに回る。藤本監督の用兵は、千葉茂の使い勝手の良さに依拠していることがよく分かる。
試合経過からも分かる通り、現行ルールでは中尾輝三が勝利投手でスタルヒンにはセーブが記録されるが公式記録ではスタルヒンが勝利投手となっている。スタルヒンの今季の42勝は、戦後山内以九士が戦前の記録を洗い直して40勝に改められたが、稲尾が昭和36年に42勝を記録した時にスタルヒンの記録について再論議され、当時のコミッショナー裁定によって42勝に再訂正されたものである。山内以九士が減じた二つの記録のうちの一つがこの日のものでしょう。但し、これを減じるのであれば他に訂正すべき記録が山ほどあることはこれまでもお伝えしてきているとおりです。当ブログは、これをもって記録の訂正を求めることはしないことは2010年3月24日付けブログ「解読」にて宣言しているとおりです。
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