2010年12月28日火曜日

13年春 セネタースvsタイガース 2回戦

5月21日 (土) 西京極


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 3 0 0 0 0 3 セネタース 3勝6敗 0.333 村沢秀雄 伊藤次郎
3 1 0 0 0 0 1 0 X 5 タイガース 9勝1敗 0.900 青木正一 釣常雄 御園生崇男 藤村富美男


勝利投手 藤村富美男 3勝0敗
敗戦投手 村沢秀雄   0勝1敗


二塁打 (タ)松木、伊賀上2


タイガース、継投で逃げ切る


 タイガースは明日にジャイアンツ戦を控えているためか御園生崇男を温存し青木正一を先発に起用、石本秀一監督は当然継投策を考えているでしょう。セネタースは今季初登板となる村沢秀雄が先発。村沢は本牧中学出身、苅田監督の後輩に当たる。村沢は昨年イーグルスに入団したのでコネ入団ではないが、セネタース移籍にあっては苅田久徳監督の引きがあったことは容易に想像がつく。とにかくセネタースは戦争の影響甚大であり、昭和11年百万ドル内野を形成したサード高橋輝彦を11年暮れに兵役にとられたのを皮切りにショート中村信一、エース野口明、主砲中村民雄を兵役にとられ、補強は先週一試合四失策の磯野政次だけとあって苅田監督としては人材は喉から手が出るくらい欲しい状況である。今シーズン苅田はMVPを獲得することになるが、数字的には何でと思われる方も多いかと思いますが、守備と共にこのような状況のチームを引っ張ったことが評価されたのである。

 タイガースは初回、先頭の山口政信が四球で出塁、ところが藤井勇の二ゴロをセカンド苅田が4B-3のゲッツー、再びところが藤村富美男の二ゴロを苅田がエラー、松木謙治郎の右越え二塁打で二死二三塁、伊賀上良平が左翼線に2点タイムリー二塁打、奈良友夫が右前タイムリーと続いて3点を先制する。更に2回、この回先頭の青木正一が中前打、岡田宗芳の遊ゴロで一死二塁、一死後藤井四球から藤村が中前にタイムリーを弾き返して4-0とする。ここでセネタースは村沢が降板して伊藤次郎がマウンドに上る。

 タイガース先発の青木は2回を無安打に抑えて3回から早くも釣常雄に交代。セネタースは5回、一死後横沢七郎の遊ゴロをショート岡田がエラー、伊藤右前打、磯野政次の二ゴロで二死二三塁、トップに返り苅田四球、北浦三男押出し四球で1-4、タイガースはここで釣をあきらめとっておきの御園生崇男を投入、ところが尾茂田叶が代り端を左翼線に2点タイムリーして3-4と追いすがる。タイガースは7回からライトの藤村富美男を四番手としてマウンドに送り、藤井がレフトからライト、御園生がマウンドからレフトに移動。

 3回以降二番手伊藤次郎に抑えられていたタイガースは7回、この回先頭の岡田が四球で出塁、山口の投ゴロで岡田は二進、藤井の遊ゴロで岡田は三塁に走りショート磯野は三塁に送球するが岡田の足が早くフィルダーズチョイス、藤井盗塁後、藤村の三ゴロの間に岡田が還ってノーヒットで1点を追加、5-3とする。

 藤村富美男は7回以降セネタースの反撃を断ちきり今季オールリリーフで3勝目をあげる。

 タイガースは昭和13年当時では極めて珍しい四投手によるリレーで勝利をもぎとった。2010年の日本シリーズを制した千葉ロッテマリーンズも細かな継投で逃げ切り、中継ぎで活躍した内竜也投手が打のヒーロー清田と共に優秀選手として表彰されました。内は2003年のドラフト1位、野球強豪校に行くことを拒否して川崎工業に進み甲子園を目指しましたが最後の夏はベスト8か4で敗退したと記憶しています。当時の神奈川は横浜・桐蔭・桐光・相模の四強の牙城を崩すのは至難の業でしたが、この年は給前の商大と内の川崎工業に期待がかかりました。甲子園に行った給前は切れのいい快速球、内は力のある速球を投げていました。共にプロを目指していましたが、甲子園に行けなかった内がロッテからドラフト1位、給前は現在BCリーグで投げておりプロ入りをあきらめてはいません。残念ながら決定的に球質が軽い。神奈川の決勝では横浜の成瀬と涌井からタイムリーを打っていますがバッティングでもやや非力。しかしあきらめるのはまだ早い。荒波翔もようやく横浜ベイから3位指名されました。横浜高校で1年夏からレギュラーだった荒波も高校でドラフトされず、大学でも全日本でしたがドラフトされずようやく同期の成瀬と同じ土俵に上ります。

 2003年ドラフトでロッテ6位の成瀬が今やエース、私は一つ下の涌井を評価しており成瀬には全く注目しておらずドラフトされたことにも気づいていませんでした。私の評価No1の内がようやく出てきて打の評価No1の荒波がようやくプロ入り、いつものことながら自らの見る目の無さにあきれる毎日です。そんな私を慰める記事を一つご紹介いたします。本日のスポニチの有本義明氏のコラム「昨日、今日、明日」に菊池の打者転向を薦める記述が見られます。私は菊池は下半身が硬くプロではコントロールに苦しむだろうと思い、馬力を生かしての打者転向説を唱えていましたので我が意を得たりというところです。日大桜丘の仲根は打者転向が遅すぎたため開花し損ないました。箕島の島本は入団当初は客寄せのためにピッチャーもやりましたがすぐに打者に転向してそこそこの成功を収めています。

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