2010年12月11日土曜日

久慈次郎

 12月10日の各スポーツ紙は、札幌ドームで行われた北海道日本ハムファイターズの斎藤佑樹投手の入団発表に8,000人のファンが集まったと伝えています。当ブログの実況中継は昭和13年に突入しますが、この年は旭川中学出身のスタルヒンが大きく飛躍する年となります。北海道野球が注目を集めることとなりました。


 ということで、北海道野球史に欠かすことのできない「久慈次郎」を特集します。久慈は旧制盛岡中学から早稲田大学野球部に入部、飛田穂洲の薫陶を受け名捕手となります。卒業後は函館オーシャンで野球を続け、試合中の事故で亡くなるまで函館に居住することとなります。


 昭和9年、ベーブ・ルース一行を迎え撃つ全日本軍では主将に選ばれ、澤村の教育係としてジャイアンツ入りを打診されますが、この年の春函館を襲った大火のため、家業の久慈運動具店の復興を優先し、プロ入りを断念します。




*久慈を伝える「北の球聖」










 昭和9年の日米野球は神宮球場で11月3日東京倶楽部vs全米軍、4日全日本vs全米軍が行われた後、11月8日に函館で行われました。


 主将の久慈次郎が、大火に見舞われた函館復興のため函館開催に奔走したためと言われています。当初の予定では11月7日に行われるはずが、7日は雪混じりの雨で中止となりました。9日には仙台での試合が予定されていたことから当時の移動手段を考慮して函館開催を中止して仙台に向かうことが検討されましたが、久慈の懇願から11月8日に行われることとなったと伝えられています。


*ベーブ・ルース一行が宿舎とした湯の川温泉「福井館」の絵葉書に残された全米軍のサイン
















*昭和9年11月8日の日付入りスタンプが押されています。スタンプにかかっているのはチャーリー・ゲーリンジャーのサイン。









*この絵葉書に書かれたモー・バーグのサインは、バーグが日本に残したサインの中でも最高級のものではないでしょうか(下がバーグ、上はフランク・オドゥール)。







 因みに「Tour of Japan」の全米チームのサインはアメリカでも特別なカテゴリーとして人気があります。12月9日に終了した「Legendary Auctions」では完品に近いタマザワ製の全米チームサインボール(極めて状態の良い箱付き)が出品され、42,000ドルで落札されました。同オークションのホームページに入り「Baseball Autographs」のカテゴリーで見ることができます。次回のオークション開催まで掲示されているはずですが、必見ですのでお早めにどうぞ。しかしこれにはモー・バーグのサインだけ入っていません。恐らくスパイ活動に忙しくてサイニングどころではなかったのでしょう。


 昭和14年8月19日、久慈次郎は試合中の事故で亡くなります。プレイングマネージャーの久慈は四球で歩いた際、一塁に向かいかけて次打者に指示を出そうとして戻りかけてところ(と想像されていますが真相は分かりません)にキャッチャーの二塁牽制球がこめかみを直撃し、スローモーションのようにホームベース上に倒れたのである。

 今も都市対抗に「久慈賞」として名前を残していることはご存知のとおりです。


*昭和9年全日本時の久慈のサイン。上に「Cap」(キャプテン)と書かれています。

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