7月2日 (木) 後楽園
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 巨人 30勝14敗1分 0.682 須田博
0 0 0 0 0 0 0 1 X 1 名古屋 12勝32敗1分 0.273 松尾幸造 石丸進一
勝利投手 石丸進一 6勝8敗
敗戦投手 須田博 5勝3敗
本塁打 (名)岩本 1号
勝利打点 岩本章 1
須田博、1安打敗戦投手
岩本章の一発が試合を決めた。
巨人先発の須田博は6回まで三者凡退を続けるパーフェクトピッチング。7回、先頭の木村進一に四球を与えてプロ野球史上初の完全試合の夢は潰えたが、石丸藤吉の投ゴロで木村を二封、桝嘉一を二ゴロ、吉田猪佐喜を遊ゴロに抑えてここまで無安打無得点。
8回も先頭の飯塚誠を三振に打ち取るが、岩本章にレフトスタンドにホームランを浴びた。続く山下実に四球を与えるが、石丸進一を左飛、芳賀直一を三振に打ち取る。
名古屋は先発の松尾幸造が初回に2つの四球を出すと即座に石丸進一にスイッチ。この日の石丸の投球を、翌日の読売新聞に掲載されている鈴木惣太郎の解説は「巧妙にドロップを操って巨人の打力を抑え5、7回の危機は綺麗に併殺で切り抜けた。」と伝えている。石丸進一のピッチングは、巷間伝えられているような快速球投手ではなく、技巧派であったことがうかがえる。
決勝ホームランを放った岩本章は‟花の13年組”として昭和13年に川上哲治、吉原正喜、千葉茂らと共に巨人に入団したが、昭和14年シーズン途中に名古屋に移籍して人生が開けた。巨人時代の2年間は8試合に出場しただけで通算5打数1安打に過ぎなかったが、その後の野球人生で2,833打数638安打を記録することとなり、昭和18年には本塁打王にも輝く。
巨人の外野陣は中島治康、呉波、平山菊二、伊藤健太郎の牙城が厚く、岩本が巨人に残っていても芽が出なかった可能性が高い。岩本の息子は京都大学出身の経済学者であることからも想像できるように、的確な判断力を有する頭脳の持主であったことが、巨人に残る選択肢を選ばず成功を勝ち取った要因であると言えるのではないでしょうか。
*須田博はちょうど100球で名古屋打線を1安打に抑えたが一発に泣いた。
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