2013年4月15日月曜日

絶筆



 巨人軍OBの大友工氏が逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。


 大友と言えばどうしても「日米野球初の完投勝利投手」が語られてしまいます。昭和28年10月31日、大友はこの年来日したニューヨーク・ジャイアンツを2対1で破り完投勝利を飾りました。この試合が「日米野球初の完投勝利投手」と語られることが多いのですが、事実は違います。

 昭和28年には読売新聞が招聘したニューヨーク・ジャイアンツと毎日新聞が招聘したロパット・オールスターズが来日して日米野球を行っています。10月23日の毎日オリオンズvsロパット・オールスターズ戦で、荒巻淳が5対4で完投勝利を飾っており、荒巻が「日米野球初の完投勝利投手」を達成しています。大友はその8日後にニューヨーク・ジャイアンツに完投勝ちしました。

 ありとあらゆるメディアで大友が「日米野球初の完投勝利投手」と伝えられており、これに基づきネット上に書かれている大友の訃報でもほぼ全てに於いて大友が「日米野球初の完投勝利投手」とされています。


 当ブログが最初にこの点に疑問を感じたきっかけは、平成16年12月5日発行の「日米野球交流史」(ベースボール・マガジン社)に、昭和28年10月23日に毎日オリオンズがロパット・オールスターズを破り、「勝利投手・荒巻」と書かれているからです。この号では複数投手が登板している場合、投手成績欄に登板した全投手が書かれていますので(例:10月25日、敗戦投手・荒巻、米川、沢藤、柴田、柚木という具合です)、荒巻しか書かれていないということは荒巻淳が完投勝利を飾ったことを意味します。


 当ブログは、書籍に書かれていることを鵜呑みにする程単純ではありません。本日は昨日に続いて午後から休日出勤だったので、午前中に市川市立図書館で朝日新聞の縮刷版昭和28年10月号及び11月号を調べてきました。矢張り、10月23日に荒巻が完投勝利を飾っており、10月31日の大友が第二号であることを確認しました。


 後は、ロパット・オールスターズを日米野球として認めるか否かが論点となります。Wikipediaで「日米野球」を検索すると「1953年、これまで日米野球を主催してきた読売新聞がニューヨーク・ジャイアンツを招聘すると、毎日新聞側もエド・ロパットを団長とする大リーグオールスターチームを招待。対戦相手を代えて2回連続して日米野球を開催するという変則事態となった。その後1955年度から両社間の協議により、読売と毎日が交互に主催することになった。」と書かれています。Wikipediaに頼るまでもなく、昭和28年にはニューヨーク・ジャイアンツとロパット・オールスターズが来日して日米野球を行ったことは歴史的事実です。上記の「日米野球交流史」(ベースボール・マガジン社)でもニューヨーク・ジャイアンツとロパット・オールスターズは並列して書かれています。


 ロパット・オールスターズの来日メンバーは、野手ではハンク・サウアー(1952年ナ・リーグMVP)、イノス・スローター(オールスター・ゲームに10回出場、カージナルス時代にワールドシリーズで見せたベースランニングは「マッド・ダッシュ」と呼ばれ、この時のシーンに基づく銅像がブッシュ・スタジアムに建立されています。)、怪人ヨギ・ベラ(1951、54、55年ア・リーグMVP、知らない人はいないでしょう。)、エディ・マシューズ(本塁打王2回、同僚のハンク・アーロンとのコンビで有名、むしろブレーブスではアーロンより有名でした。)、ビリー・マーチン(喧嘩っ早いことで有名、後のヤンキース監督)。投手ではエド・ロパットの他にロビン・ロバーツ(最多勝4回、「ウィズ・キッズ」と呼ばれたフィリーズのエース)、ボブ・レモン(最多勝3回、オールスター・ゲーム7年連続出場)などの歴史的名選手が多数参加しており、戦後来日したアメリカチームでは最強メンバーとも言われています。




 大友工は、昨年BBMから発行された「NO-HITTERS」ベースボールカードに直筆サインを提供しています。大友がサインビジネスに参画したのはこれが最初で最後となりました。この時の大友のサインが絶筆となりました。




 ご逝去に対して、美辞麗句で飾るのも一つの礼節であることは理解しておりますが、当ブログは、事実を事実として伝えることこそ、故人に対する手向けであると考えます。大友工は、「日米野球完投勝利投手第二号」です。これが第一号でなくても、大友の成し遂げた偉業が貶められるものではないと、当ブログは考えています。







*絶筆となった直筆サイン入り「NO-HITTERS」ベースボールカード。このカードは持っているのですが見当たらないのでネット上から画像をパクらせていただきました。見つかり次第差し替えます。












*ここからは昭和28年に来日したロパット・オールスターズのメンバー。まずはロビン・ロバーツとエディ・マシューズの直筆サインカード。








*ヨギ・ベラの写真としては最も有名な一枚でしょう。ジャッキー・ロビンソンをブロックしたシーン。当然直筆サイン入りです。











     *本日公開する画像ではこれが一番貴重です。ビリー・マーチンの直筆サインカード。









 

4 件のコメント:

  1. 団長の、エド・ロパット投手 は大リーグでは、どのチームに所属した選手ですか? また、どんな実績を残した野球人だったのでしょうか?
    古谷一人

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    1. ホワイトソックス、ヤンキース、オリオールズに在籍しましたが、何と言っても1949年~53年のケーシー・ステンゲル監督時代のヤンキースがワールドシリーズに5連覇した時が全盛期です。アリー・レイノルズ(通算182勝)、ビック・ラシー(通算132勝)と共に”ビッグ・スリー”と呼ばれる三本柱を形成して通算162勝を記録しました。ホワイティ・フォードは51、52年に朝鮮戦争に従軍していますので5連覇時代のエースではありません。

      ワールドシリーズMVPは1955年から表彰されることとなりジョニー・ポドレスが第一号ですが、1951年のワールドシリーズではエド・ロパットが2勝0敗2完投勝利を記録して実質MVPの活躍でした。

      打撃陣にヨギ・ベラとミッキーマントルがいて、5連覇後にホワイティー・フォードが大活躍することとなり、エド・ロパットは実績ほど有名ではないようです。

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