2011年4月3日日曜日

13年秋 名古屋vs南海 2回戦

9月23日 (金) 甲子園


1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
1 0 0 0 1 0 1 0 0 3 名古屋 5勝5敗2分 0.500 松尾幸造
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 南海   4勝7敗2分 0.364 劉瀬章


勝利投手 松尾幸造 1勝3敗
敗戦投手 劉瀬章     0勝1敗


二塁打 (名)白木


松尾幸造、5安打完封


 翌日の読売新聞は「名古屋松尾の剛、南海劉の柔は面白い対照をなし滋味溢れる投手戦を展開・・・」、本日がプロ入り初登板となる劉瀬章のピッチングについては「南海劉の主として下手から投げ込む緩球・・・」と伝えている。

 名古屋は初回、二死後桝嘉一が四球で出塁、二盗を決めて二死二塁、白木一二が右翼線にタイムリー二塁打を放って1点を先制する。

 名古屋は5回、この回先頭の倉本信護が四球で出塁、三浦敏一が一塁線に送りバントを決めて一死二塁、記録は「3-4A」となっていますので、オーソドックスにファースト中村金次が捕って一塁ベースカバーに入ったセカンド西端利郎に送球したもの。昭和12~13年のスコアブックを見ているとバントシフトで二塁手が前進してきていると思われるプレーに時々ぶつかります。高校野球でも2~30年位前までは見られたバントシフトですが最近は姿を消しているようです。松尾幸造死球で一死一二塁、村瀬一三の投前バントが犠打となって二死二三塁、当然村瀬は自分も生きようとしたバントでしょう。ここで劉瀬章が痛恨のワイルドピッチを犯して2-0、名古屋のバント攻撃が効を奏した。

 名古屋は7回、一死後倉本が四球で出塁、三浦の三塁前バントが内野安打となって一走倉本も三塁に進み一死一三塁、翌日の読売新聞には「バント・エンド・ラン」と書かれています。ここで松尾が中犠飛を打ち上げて3-0とする。

 松尾幸造は本日は見違えるようなピッチングを見せ、5安打3四球5三振、南海打線に付け入る隙を見せずに完封でようやく今季初勝利をあげる。松尾にはたまにこれがあるので名古屋としてはエースに育てたいところであるが、なかなか潜在能力を活かしきれていない。

 名古屋は4安打ながら細かなバント攻撃と好走塁を見せて3点を奪った。守備も安定していたようで翌日の読売新聞は「・・・背後の守備陣も遺憾なく、殊に二塁手戒能の数度に亙る美技は大事を未然に防いで・・・」と記している。名古屋も今日のような野球ができれば優勝争いに食い込んでもおかしくないのだが。

 本日初登板の劉瀬章は9回を投げきって4安打4四球1死球3三振3失点とピッチング内容は良かったが、得点経過から分かるように失点は3回共に四球に端を発したものであった。四球を出しちゃだめというのは、昭和13年であっても2011年であっても、大リーグであっても日本のプロ野球であっても、高校野球であっても草野球であっても、およそ野球と名の付くところでは普遍的なセオリーである。


*松尾幸造の完封勝利及び劉瀬章のプロ入り初登板を伝えるスコアブック

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